6月
11
2012

[本]漂流するトルコ

トルコという国の名前を印象深かったのは、40代以上の男性にとってはトルコ風呂。
今のソープランドのことで、なぜかトルコという名前がついていた。
トルコやアラブに実際に行ってみて、ハマームという名前の立派な公衆浴場があり、アカスリをお願いしたことがあった。
日本の銭湯と違うのは天井から光をとっていて明るく、大理石とタイルがあり、深め(1.5m)ぐらいのややぬるめのお風呂があったことであろうか(ブルサ)。
年によってはシャワーしかないところもあった(ディヤルバクル)。

その後は、トルコは日本のことを尊敬しているということを聞いた。なんでも日露戦争の時代に、トルコは南進するロシアに手こずっていた。もうだめだというときに、日露戦争があり日本がロシアのバルチック艦隊を破ったというニュースを聞いた。海軍の東郷平八郎元帥をトルコ国民全員が歴史の授業で習い、尊敬しているそうである。

アジアの東の覇者日本と、西の覇者トルコだそうである。

他には、中学生の時に聞いた庄野真代の「飛んでイスタンブール」という曲である。
「とんで、イスタンブール♪光る砂漠でロール…夜だけのパラダイス‥」というサビだけが強烈に覚えている。

そんな知識ぐらいしか知らずトルコに行った。
(とはいっても、イランとの国境を抜けてバスで行ったのであるが)
旅行中に中国で、「イスタンブールはいいよ。特にガラタ橋で食べるサバサンドが印象が強いね。」と聞いて印象深かった。
当時、イラン・イラク戦争中のイランは凶気が蔓延していて楽しめずあっという間にトルコ国境を抜けたら自由があった。

トルコはなくしたトラベラーズチェックの再発行の時間(当時の日本と国際FAXでのやりとりで1ヶ月以上かかる)があったので、ゆっくりとビザ不要の3ヶ月間を旅行した。
ぐるっとトルコを1周半ぐらい廻った。
そのうち、イスタンブールはやや物価が高いけれども、東西の文化が交じり合い風光明媚で食事もうまく、人々が優しく、合計1ヶ月滞在した。

またトルコ人が東郷平八郎のことを知っていると聞いて、お返しにトルコのことを学ぶ。
オスマン朝トルコが中国の清朝のように崩壊しつつあった20世紀初頭に、トルコ軍からムスタファ・ケマルがクーデターを起こして新しいトルコを作ったこと。彼は民衆の指示を得て初代大統領になり、宗教と政治を分離するなど近代国家を作っていた。
中でもアラブ文字を止めて、覚えやすいローマ字にするなど西側国家へ大きくかじを切った。彼はトルコ紙幣にのり、「アタチュルク(トルコの父」)と呼ばれている。
日本で言えば、坂本龍馬と西郷隆盛を足した人物だろうと思われる。
Wikipedia

そんないい国で尊敬する国だと脳天気な旅行者だったのが20年前。

そしてこの本を読んで、今になっていろいろなことを理解する。

著者は、トルコにいる複数の民族が話す様々な言語を研究するフランスのストラスブール在住の日本人研究者。
私がトルコを旅行したのは、1987年7月下旬から10月上旬にかけての3ヶ月。
著者の小島氏はその1年前の1986年にトルコの南東部を回って言語調査している途中で、国外退去処分を受けている。

隣国のイランやシリアとは違って、秘密警察の雰囲気をあまり感じられず、危ないところとは全然感じなかった。
とはいえ、クルド族によるテロとトルコ軍の内乱鎮圧のニュースがトルコで連日放送されていた。

トルコには、ユダヤ人、アルメニア人、アラブ人、そしてクルド人などの少数民族がいる。その中でもクルド人は分離独立を望んでテロを行なっているとトルコ人から聞いた。徴兵制がしかれており、西側出身のトルコ人の若者は東側のクルド人地区へ送り込まれ、クルド人らは西側へ送られる。20代の若い男が徴兵制で兵士になるので、素性が割れて国民としての教育がされ(洗脳?)、しかも出身地とは反対の場所に送られるので、民族主義は軽減されていくような政策を取られている。

この本では、クルド人は1括りにするような民族ではなく、山をまたいで地理的に離れていれば同じクルド人であったとしても言葉が通じないほど離れている。
またクルド人として言われている人たちの中に、ザザ人など他の民族も含まれる。

ザザ人
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B6%E3%82%B6%E4%BA%BA

トルコ人と言われている人は実は、数千年もの歴史で土着した様々な民族が集まっている人たちで、オスマン・トルコは後からやってきた征服者の民族の一グループだと言うことである。国としてのアイデンティを持たせるために、トルコ民族という単一民族にしようとしているが蓋を開ければ多民族で言葉も異なる。

実際にこのことは、世界中どの国でもある程度の大きな国は同じ事情を持つ。
日本だって、単一民族とはいいつつ、縄文人・弥生人というし朝鮮からの血はまじり、東北ではアイヌの白人の血がまじり、南はまた南方系の血が混じる。
言葉こそ統一しているが多民族。
中国も漢民族が中心となっているが、もともと地方の多民族が集まり、同じ漢字を元にした中国語を話すという意味での漢民族である。北方と南方では顔つきや背格好は全く異なる。
大きな国にしないと他の国に支配されるという危機感で、仮想の民族を作り上げて一体感を持たせる国策だったのだろうと思う。

当時のトルコは命を闇から闇へと葬られるほど危険な国ではなかったと思うが、政情不安の中で警察や軍、秘密警察に睨まれながら、トルコの地方で言語調査をしていたというのは怖い話に思う。Karsという当時のソ連国境の街からソ連へ行く鉄道で行けるところまで行ってみた。トルコ人とは異なるアルメニア人やロシア人と同乗しながら、トルコ側の国境の駅で降りた。駅舎の他には何にもない所だった。戻りの鉄道を2時間近く待ってまた乗った。そのとき閉じられた国境の侘しさを感じた。

トルコの田舎を歩いていると、私にチャイハネから声をかけて紅茶をごちそうになり、トルコ語ができない私に「チョク・ギュゼル。ジャポン・グッド」とだけニコニコと話しながら、右手の指を先に閉じて上に向ける仕草を思い出す。

Written by in: 勝手な言い草 |

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