12月
05
2010

[本]解決志向介護コミュニケーション


解決志向介護コミュニケーション

  • 長谷川啓三
  • 誠信書房
  • 2520円

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書評

私の父は交通事故で頭を打ち、障害が残ってしまった。
高齢(73歳)になって老人性痴呆症も始まった。父のことはずっと母にまかせっきりであるが、この1年は症状が進んだと母がぼやいている。両親とは離れて住んでいるため私が直接手伝うことはできないけれど、何か参考になればと思い、この本を手に取り読ませていただきました。

介護というと、身体が思うように動けない老人に対して、食事を手伝ってあげたり下の世話をするようなイメージがありました。床ずれを直したり、話し相手になったり、掃除や洗濯、買い物など本人の家事の仕事を代行するということが、私にとっての介護という言葉のイメージです。

介護に関する知識は、ある日突然必要になるそうだ。
自分の両親が比較的若くて元気なうちは、自分の周りに介護という言葉すら出てこない。40歳になって初めて介護保険が健康保険のように取られてしまうのは、自分を含めて周りの人が元気溌剌だから「なんで無駄なお金を支払わなくちゃいけないだろうか?」と思うだろう。

しかし、人はやがて老いを迎える。さほど歳をとらなくても、病気になったり怪我をして体がままならなくなるときもあるかもしれない。そのとき、初めて介護を依頼することになる。
介護とはどんなことを頼めばいいのか?いくらかかるのだろうか?...

それは突然に。しかもなくてはならない。自分のお尻もふけない、食べることもできない。
その動かない身体にやるせなさを感じ、自己嫌悪に陥る。誰もが介護をして欲しいとは思わない、自分の身体は自分でコントロールしたい。でもできない。しかたなしに、恥を偲んで頼むのが介護だ。
本屋へいって介護に関する本を探せば、きっとほとんどの本は介護の技術に関する本だろう。
(ちょっと引っ張りすぎた)

しかし、この本は介護技術を教えてくれる本ではない。介護に関わる心理的な問題に焦点を当てている。
介護をすることは日常的な行為の繰り返しのような気がする。

日常生活の繰り返しでは小さな不満が積もり積もってということもあるだろうし、マンネリ化してしまうこともあるだろう。介護士という専門家でも気がつかないことがあるかもしれない。

まずは、「例外」ということについて焦点を当ててみよう。

痴呆症になりつつある人がうまく靴を履けない。
どうすれば靴を履けるようになるだろうか?

介護をする人は自分では当然靴が履ける。靴が履けないという気持ちになったことがない。
だから、介護される人の気持ちはわかりにくい。どうすれば靴が履けるんだろうか?履ける自分にはさっぱりわからない。

介護される人を観察すると、ときどき自分で靴をはけることがある。それが「例外」という。
その「例外」ではうまくいっている。では「例外」を通常に導いていけば、その人は自分で靴を履けるようになる。その結果、できないことができるようになるという話だ。

(このことだけでも、非常に意味深いものを感じた。ただ「例外」というよりも特異点という方がわかる気がする)

介護する人と介護される人の間の関係を変えることで解決できることもある。
言葉を使わずに、非言語的なコミュニケーションも役立つ。

などなど、本の内容はちょっと学術的で難しいと思うかもしれない。
しかし、コミュニケーションの奥深さを感じた。そして深く考えれば日常でも役立つと思う。

介護に焦点を当てて対人関係を著しているが、実のところ普通の人間関係も同じだ。
仕事や趣味などで人間関係があるとき、そこには能力の違いがある。
教える側と教えられる側、またその全体の組織の関係。

我々の行動は意外と根本的な感情に基づいて動いている。
この本も深く読むと、通常の人間関係についてもいえることではないかと思った。

私たちは誰しもやがて老いていく。
今は若いつもりであっても、しだいに身体が動きづらくなり、身体の器官が働かなくなっていく。
今まで普通にできたことができなくなっていく。
まだ私も中年だからそこまでの気持ちは汲み取れないが、若いときよりも瞬発力や持久力は衰えていると感じる。やがてさまざまな能力が衰えていくんだろうと思う。とても辛いことだと思う。
そして、世の中に貢献できなくなり、社会的に生きてていいのだろうか?という気持ちさえ持ってしまう。その中で生きながらえていかなくてはいけない、しかし死ねないという気持ちが揺らぎながら、人間としての欲望を感じ、その一方でふがいなさを感じる。

でもちょっとした補助さえあれば、わずかながらでも世の中のためになるのであれば、介護をお願いしたいと思う。

そのとき、傍らにこの本があれば、何か問題が起きたとき解決のヒントになるのではという期待はもてないだろうか。

目次
序章 解決志向ケアってなに?
第1章 要介護者とのコミュニケーション(身体症状とのおつきあい
呼び方で対人距離が変わる ほか)
第2章 高齢者を抱える家族システム(高齢を肯定的に捉える
老年期の性 ほか)
第3章 介護者が疲れてしまわないために(介護保険制度の誕生
介護にたずさわる家族への援助 ほか)
第4章 地域・コミュニティでの支え方(薬局を最大限に活用する―良薬たらしめる七ヵ条
高齢者のグループワーク ほか)
終章 解決志向ケアに関する理論

Written by in: 家族, |

2 Comments »

  • もーし より:

    >言葉を使わずに、非言語的なコミュニケーションも役立つ。
    という事もあるなら、介護者が絶対日本人である必要もないとも言えますよね。
    ある番組で観た特養ホームなどは、ベッドだけの部屋で終日寝かされているような
    非人間的な扱いになっていましたから。

    • ohashi より:

      もーしさん、コメントをありがとうございます。
      この本では、非言語的な介護という意味では、老犬の介護について取り上げていました。
      床ずれしているところに薬を塗ってあげるとき、「うぅー」と噛み付きそうなそぶりを見せたり、具合がいい場合は気持ちよさそうな顔を出す。犬には言葉は通じませんが、言葉がなくても介護ができるという例でした。

      人間ですと、言葉ができることでかえって不快に思うかもしれませんね。
      重度の痴呆だったら、日本人以外でも問題ないと思います。

      私だったら、若くていい匂いのするフィリピナだったら言葉が通じなくてもOKです(スケベ)。


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