1月
29
2009

祖父の大往生

昨日の朝3時頃、私の母方の祖父が享年98歳でなくなりました。

昨夜はお通夜で今日が葬式でした。祖父の家は岐阜県安八町です。名古屋から車で1時間半ぐらいの距離です。さほど遠くない距離で、朝から車で出かけました。

冬の一番寒い時期ですが、晴れ間が広がり伊吹山から吹く冷たい風もなく、ぽかぽかとしてコートも要らないいい天気でした。

私の父母や親戚が集まっておりました。
午後1時からの葬式です。早めに肉類の一切ない精進料理のお弁当をいただいて、待ちました。祖父母が老いて、私たちもそれぞれの家族を持ちそれぞれの人生を歩むようになってからは足が遠のいていました。数年ぶりにいとこにあったときは、みんな老けており、おいやめいも大きくなっていました。

親戚のほとんどは地元で生まれ育っておりますが、私の両親は名古屋に出てきており地元の人たちの交流はほとんどありません。母だけが地元の人たちとの交流があるぐらいですから、借りてきた猫状態だったです。

祖父はこの地元の農家の長男として生まれました。

祖父の兄弟は8人いますが他は女ばかり、祖父は4番目に生まれた初めての男の子だったそうです。小さい頃に丁稚奉公に出され、神戸で洋服商店で働いていたと聞いています。

祖母は小豆島の生まれでしたが、小さい頃母をなくしました。継母に育てられたので、女学校を出てから逃げるように神戸のお金持ちの家で子どものメイドの仕事をしていたそうです。

祖父がたまたまそのお金持ちの家に出入りして、祖母を見初めて結婚することになったそうです。祖父母は祖父の実家で生活をし始めました。祖母は岐阜の田舎の農家の生活に慣れず、苦労したそうです。祖父も農業は人に任せて、洋服を売る商売をしていました。田舎なのでお店を構えず、家から家へ廻って販売していたそうです。

私が小さい頃祖父母に会いにいくと、いつもにこにこして可愛がってくれたことを覚えています。母方の祖母は私が仕事をし始めたと16年ほど前に亡くなりましたが、祖母も細かいことを気にせずいつも応援してくれました。昭和50年に安八町が水害にあったとき、父母は会社を休んで助けにいきました。代わりに祖母がわざわざ知多に来てくれて、私と妹の面倒を1週間ぐらい見てくれたことを覚えています。

祖父が亡くなり祖父母の世代がいなくなって、世代が代わったことを実感しました。いづれ私や妻の父母が亡くなり、そして私や妻がいなくなっていきます。

おじいさん、長い間お疲れさまでした。
そして見守ってくれてありがとう。

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