9月
16
2008

「闇の子供たち」という本と映画

「闇の子供たち」という映画が流行っているらしい。

タイの児童買春と子供の臓器売買に、日本の記者やルポライター、ボランティアが絡む話である。

児童買春というよりも、タイの売春の話は30年前からよく聞く話である。それが臓器売買にまでつながったというのは、医療の発達と世界的な需要に達したためであろうか。

どんな話か興味があったので、映画のストーリーと原作のあらすじを探した。

映画のあらすじ(ネタバレ)
http://www.cinematopics.com/cinema/works/output2.php?oid=7863

原作のあらすじ(ネタバレ)
http://www.shitamachi.net/wa/kodama/001.htm


闇の子供たち

映画と原作は違う作品のようだ。映画は日本人向けにやさしく作っている。それでも日本人にとってはショッキングだろう。原作は日本人が絡んでいないが、もっとすさまじい。

実は日本の社会がオブラートに包んでいるので、世界のひどい現実をあまり感じないし、知らない場合がある。私たちは理想的な社会で人はやさしい人ばかりという教育を受けてきた。

「衣食足りて礼節を知る」という言葉があるけれど、世界には衣食の足りない人もたくさんいるし、教育を受けず欲だけでその日暮らしで生きている人も多い。

20年前にタイへ旅行した時にも同じような話は聞いた。
実際に売春宿に売られてくる子どもの両親に会ったことはないのでわからないけれど、都市伝説なのか実際はどうなんだろうと思った。

そのときに聞いた話はこんな感じ。

タイのとりわけ貧しいところは、北部の少数民族か東北部のイサーンと呼ばれるところ。特に少数民族は、タイ族から迫害を受けており、山間部の痩せた土地に住んでいる。

彼らの生活はだんだんと破綻に向かっていた。東南アジアはもともと男は戦いの兵士であることが多く、女が共同体を作って生活を支えているという文化がある。ただ平和な時がながれて、男は手持無沙汰になり、ギャンブルや麻薬におぼれる。一方で、お金があればいろいろな電化製品を買えるという拝金主義の思想が農村にも届く。

その結果、娘や息子を売ればお金になり、欲しいものが買えるという考えがだんだんと根付いていく。

娘や息子は器量が良ければ、売春宿へ。
借金の証文分を働かされる。

器量が悪ければ、工場へ。ただ工場は、朝早くから夜遅くまで暗い部屋で働かされて、ときには危険だったり、暗がりなので目が悪くなったりする。
ときには工場よりも、売春宿の方が1日数回相手をするだけでいいので楽だったりする。食べ物だって工場の残飯見たいな食事よりは、売春宿の方がずっといい。
それに化粧をしてきれいになれる瞬間があると女の子は思う。

ただ売春で需要があるのは20歳ぐらいまで。
20歳ぐらいになれば借金分は働いたことになり、売春宿から追い出される。
新しい子どもが届くので、大人になった売春婦(夫)はいらない。
ただ小さいときから売春の道で過ごした彼らに、学はない。
字もろくにかけず学問もない。普通に働いて生活することもできない。

結局、売春宿を追い出されても、道で春を売るしか生きていく術はない。
旅行客に1ヶ月や数ヶ月の間、専属の家政婦として生きる。
昼は洗濯や食事など身の回りの世話をして、夜は夜の相手をする。

病気になって死ぬか、運が良ければ外国人の現地妻になれるかもしれない。

これは女の子だけでない。
男の子も同じ。世界中からかわいい男の子を求めて、ゲイが来ることもあるし、普通の女性が男を買いに来ることもある。

ただ、女の子も男の子も、親のことを悪く言うことはない。
タイではそんな子どもを売るような父母でも尊敬されている。子どもは素直に、親のために自分が売られたということをうれしがる。

借金を返しながらでも僅かなお小遣いを売春宿から貰える。そんなお小遣いをまとめて、数ヶ月に一度送る。親が子どもにありがとうという言葉を期待して。

たいてい、親はそのお金をギャンブルか新しい電化製品を買ってしまう。

またタイは売春がもともと許容されている文化だという。
夫婦が結婚した後も、夫が浮気をしたり売春宿へ通うことは許される。、
その文化的な土壌の上に、ベトナム戦争の保養地としてのパタヤや日本メーカーの接待街パッポンを作られ、欧米や日本から男の子や女の子を買いに来る需要と供給の関係で、今の状態になった。

ただ、タイだけでなく、隣の国カンボジアはもっと悲惨な状態であり、ベトナムやフィリピン・インドネシアなど貧困の国ではあるし、東欧やロシア、ストリートチルドレンのいる国はどこでも同じような話がある。

臓器売買だって、倫理的にはなかなか起こりにくい話であると思うが、実際のところお米の偽装や農薬の入った餃子、中国の汚染ミルクなどが起こるのと土壌は同じだろう。

日本人が善意のつもりで、海外へ移植手術を受ける。
その、移植される腎臓や角膜、心臓などの臓器は、果たして本当に事故死で亡くなった人のものであろうか?子どものものであろうか?

途中で偽装されていないとも限らないと思う。

特に親のいない子ども、住民票のない子ども、ストリートチルドレンである子どもがひとりぐらいいなくなっても誰も気づかない。わざと車につき飛ばせて、「交通事故で死んだ」と運ばれてきたら、善意の譲渡だと思うかもしれない。

まだ原作も読んでいなし映画も見ていない。改めて読んでみたいなぁ。
小説にするとたくさんの人へ共感が生まれるんだなぁと、映画が話題になっていて再確認した。

Written by in: 楽天日記 | タグ:

コメントはまだありません »


コメント&トラックバック




トラックバック URL

コメントのRSS feed