8月
01
2008

自律

お金持ちと私のような貧乏人の違いを考えてみる。

近所に住んでいるお金持ちは、そもそも通りで歩いていることはまずないが、家の周りを歩いていると、ときおりBMWなどに乗っている男性や女性の顔をみる。車のフロントガラスを通してみる人たちの顔は、厳しい顔をしていることが多い。

思い返せば、上流階級やエリートの人たちと顔を合わせたことがあるが、顔はキリリとしておりきちんとしていた。服装はブランドものを着るのではなく上質のものを着ていたが、そつがない。背筋はまっすぐだ。しゃべる言葉も抑えた感じのしゃべり方をする。全体的に上品な感じだ。

欧米人の上流階級と付き合うと、こちらを見下すような感じで見ることもあるが、エマージング国(アジア諸国)では当時日本人というだけで国の地位が高かったのでいきなり上流階級の人と相対してしまうこともある。彼らは学校や留学仕込みできれいな英語を話し、家の中や付き合いの中では上品にふるまう。

それに対して私は拙い英語で、まごまごしながら場違いな感じがする。
年収でいえばずっと私の方が上なのに、育ちの違いは自分が感じてしまうので、恥ずかしながらなんとか場をつくりながらやるしかない。

ときには俳優のように、上流階級の日本人だという感じでふるまうしかない。

そういった上流階級やエリートの社会では、多くは顔が美しいことが多かった。お金持ちは美しい女性と結婚しているせいかもしれないが、子どもたちは美男美女が多い。すべてではないけれど。

しかし遺伝だけでなく、やはり育ってきた環境だろう。

大人になるまで、いつもそんな環境に接していればそうなるだろう。
ときおりお金持ちのボンボン息子という話があるが、それは例外でほとんどの場合は紳士淑女になる。

ただその金持ちの生活がうらやましいとは限らない。
すごく生活が窮屈で、いつも他の人からどう思われるかを気にする。
親戚や知人はみんないい生活をしているので、おなじ地位を保つには必至だ。一人だけ落ちぶれてはいけない。落ちぶれたら親戚の恥さらしものとなり、親族から追い出されてしまう。

また幸せとは限らない。
息苦しいところがあり、いつも我慢を強いられる。自由も限られている。

そのポジションには良いところと悪いところが同時にあるものだ。
何でもね。

ただ一つだけいいのは、お金持ちが自由を手にすれば、上から下まで楽しめることができる。10万円を超えるフルコース料理も味わうことができれば、立ち食いの蕎麦屋へ入ることもできる。私自身は20代の頃少しそれをかじることができた上での実感で、いまはその金も自由もないけれど。

ただ貧乏からお金持ちの階段を上がるためには、
「お金を稼ぐ」方法を短絡的に探すのではなくて、
まず「自分を律して」お金に見合った自分を作るところから始まるような気がする。うたかたの生活のためにぱぁっと使い快楽を貪るのではなくて、自分や家族に投資をして、磨き上げていく。

そう思いながら、本を1冊1冊と読んでいる。お金よりも自由がほしい。

Written by in: 楽天日記 | タグ:

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