世の中で名前を成して、立派な功績を記す人がいる。
しかし人並み以上の能力があって、人のために尽くしてきた人であろうか?
会社組織にいると、企業のトップや偉い人たちは必ずしもそうではないこと
に気づく。運が良かったとか、世渡りがうまかったというケースも多い。
戦国時代に功を上げ名乗りをあげた人も、本当に勇猛果敢で強かっただろう
か?1000人がわぁーーーと戦に出て、ほとんどの人は討ち死にする。そ
の中で強い人が生き残る確率はわずかに高いかもしれないが、そのうち後ろ
から斬られて死んだのではないだろうか?それよりも、うまく物陰に隠れ
て、最後にちょこっと出てきて「われこそは?なり?」と言って、目だつこ
とが、結局死んでいったものたちの功績を全部自分の手柄にして、結局は褒
められて地位が上がっていったかもしれない。
それも一つの才能だと思う。
だけれどいろいろな功績をなした人が、名前の通った人ではあるとは思わな
い。いろいろなものをつくってきた科学者や技術者はあまり目立ちたくない
人が多い。目だってしまうと有名税を払うことになり、好きなことができな
くなる。だから私は有名な人にも一理はあるが、末端の目立たないソフト
ウェア作家の方が関心がある。インターネットで検索すると、目立たないけ
れど優秀だなと思う人がたくさん見つかる。
その貢献はピラミッドの1つの石にすぎないかもしれないが、確実にピラ
ミッドを支えている大事な石である。
名だたる目だった人はそういう成果を独り占めしていることは多い。しかし
それはそれで必要な人で大切な人であるということを重々招致している。
ただ今まで、有名で立派な人たちを額面どおりに尊敬しすぎたかなと思う。
その人たちをかげで支えた多くの無名戦士を想像しながら、全体の成果を尊
敬しようと思う。