6月
12
2007

与えられた壁を乗り越える大事さ

私の半生で後悔していることがある。

目の前に立ちはだかる壁を乗り越えなかったことだ。

自分から挑戦する壁は、大変な思いをして苦労をしてなんとかよじ登ってき
たこともあったし、失敗したこともあった。いつかその壁を乗り越えようと
努力してきた。

そのもがき苦しむことで、いつの間にか体力がつき忍耐の力がつき、そのう
ち乗り越えられるようになった。いまだに険しい壁もあるが挑戦しつづける
かぎり、命ある限り乗り越えることができると思いたい。

しかし、自分が予想せずに立ちはだかった壁については、別の壁を捜し求め
た。「私が乗り越える壁ではない」と思ったからだ。今にして思えば、与え
られた壁に挑戦して乗り越えたら、別の人生があったかもしれない。

中学校のときに運動クラブと学習の両立という壁があった。運動クラブをす
ることの大変さよりも自由のない軍隊的な人間関係が嫌だったのだが、好き
な勉強をしていくという別の壁に挑んだ。

大学は理学部の数学科で入学当初は数学者への道を歩んだが、「一生数学に
付き合っていく」という気持ちを持てなかったので、コンピューターを独学
で学んでいくという道をとった。

結婚して子どもができてからも、結婚生活という不自由さの壁から逃れよう
とたときもあったが、壁を乗り越えられないまでも壁に向かっているのが普
通になった。それでもサラリーマンとして会社勤めすると、自分のやりたい
ことができないと感じて、独立への道を歩み始めたというのがある。

会社勤めしながら自己実現していくという壁から逃れたのだ。

いま独立して思い返すと、いろいろ理由はあったのしろ「逃げた」というこ
とに他ならない。あの場でも自己実現していく方法はあったのだと。

もう時効だと思うので言ってもいいと思う。
今から8年前、サラリーマンを辞して自分の道で生きていこうと思った時期
があった。

結婚して子どもができた身としてはしょうがなく、名古屋で外資系のIT関連
会社に勤めた。最初は講習会の講師というあまり気乗りでなかった仕事をす
ることになったが、徐々にコンサルティングのような仕事をさせてもらった。

ただ大手IT会社の地方子会社であったので、本社と仕事は同じながら給料は
少ない。自分の仕事の選択だったので仕方がないが、ずっと不満を持ってい
た。係長として採用され、課長にもなった(部下はいなかったが)。

そのとき、このままやっていても部長にはなれても、それ以上はガラスの天
井があると感じた。地方子会社の社長は、本社から送られてくる出向社員な
んだろうな。

そのとき、自分なりに活路を見出すべく事業提案をした。今にして思えば内
容についてはたいしたものではなかったと思う。どれだけの収益がどのよう
にあげられるのか、どれだけのリソースが必要かということも触れていな
かったからだ。若気の至りだったが、そのとき出向してきた社長は「俺のと
ころに持ち込むな」と言って事業提案を返されてしまった。私の2段階の上
司の頭を越えて持ち込んだので、上司の面目を潰してしまった。

それからしばらくして「もう新しい道を探ろう」と思い、退職を申し出た。
いろいろな懐柔策があり、そのとき「条件付けで本社社員にしてもよい」と
いう話もあった。その申し出はうれしかったが、このように行動しなくては
その話もでなかったのかと残念だった。

条件はその地方子会社へ在籍することだ。東京の研究所や別の事務所への配
置転換を願わないというような条件だ。私のような前例が出てしまってはそ
の地方子会社を混乱させるかもしれない。そして結局は私のやりたいことは
できないだろうということで、退職することになった。

多少不満はあったものの、悪くない会社だったと思う。
外資系だが日本に根付いて長いので日本風なところもある。普通のIT企業か
ら中途で入ってくる人には外資系のように見えるが、外資系で育った私には
自由な意見がいえない日本の会社に思える。

最近思うのは、与えられた壁というものは、必然的な感じがする。
ある意味自分が無意識にその道をたぐり、その無意識で進もうとするときに
現れた壁である。本当はその壁を乗り越えなければいけないのではないだろ
うか?その壁を乗り越えてみてだめだったら、別の道や別の壁を探せばよい。

最初から拒否していても、結局同じ壁にぶち当たるような気がする。

Written by in: 楽天日記 |

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