5月
26
2007

【本】脳と仮想 後半

【本】脳と仮想 前半の続きです。
http://plaza.rakuten.co.jp/solis/diary/200705150000/


脳と仮想

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書評/サイエンス

私の特技と言ってもいいかどうかわからないが、料理の味を見ただけで当て
ることができるというのがある。写真を見て、その素材の混ざり具合を見
て、料理を作るところを見て、だいたい料理の味を想像する。

たいてい予想した味と、食べた味は一致している。

逆に素材と素材を組み合わせたときにどのような味になるか、調理方法でど
のような味になるか、頭の中で仮想実験をする必要はあるのだがだいたい当
たっていると思う。

世界中をまわっていろいろな料理を口にしたことや、味の記憶がはっきりし
ているのかもしれない。味覚を言葉で表現することはしにくいが、視覚の色
とはちょっとちがう「あの、その味」という印象として味を覚えている。そ
れに組み合わせることもできる。

その弊害として、食事にはこだわらないようになった。
おいしいものを探してラーメン屋を探したり、イタリアレストランを彷徨う
ことはない。

写真を見ただけで、味がわかり、もうおなか一杯。
大岡越前の裁定で「うなぎの匂いを嗅いでご飯を食べる人に、匂い料を徴収
できないか」という話があったが、写真を見るだけであとは腹さえ膨らませ
ばいい。もちろん味覚もわかるので、食べておいしいものは、なおおいしく
感じる。

(ひょっとしたら味覚の範囲が狭くて、味わうことができないだけかもしれ
ないが)

ただそのうなぎの味は、私が感じている味と他人が感じている味は同じだろ
うか?私は甘いたれで味付けをしてあるが、少し歯ごたえがあり脂がのって
おり、口に入れた瞬間に芳しい匂いが広がり、身体の中からアドレナリンを
放出されるようなその味を感じる。これでもうまく表現できたとはいえない
がその食べたときの感覚は、他人と同じものを共有しているだろうか?

おそらく、うなぎ本来の持つ味覚は現実としてあるのだが、人それぞれにう
なぎの味覚という仮想の世界があり、それは微妙なところで食い違う。

例えば梅干は日本人にとってはなくてはならない味だが、外国人にはその
酸っぱさは未経験で仮想の世界を共有していない。そういった差が個人間で
あり、その仮想の世界を共有するためには大きな断絶が存在する。

こうして本の後半は、私たちが見ている世界は仮想の世界であることが証明
されたので、その仮想の世界を探求している。

私たちが思い込んでいる世界は現実のものとは違う。現実のものと違うこと
を身をもって知ったときには、大きな驚きを伴う。前半で述べているように
仮想の世界は私たちが現実の世界を全て理解できず省力化のために生まれた
ものである。

また仮想の世界は蓄積されるものでもある。

私たちの言葉、文化、身の回りの生活といったものは、過去から蓄積された
ものである。

言葉を一つ取り上げてみても、それは今発明したものではない。過去にある
人物の仮想の世界から創造される。その言葉に共感を持てば、他の人が仮想
の世界で使う。その後たくさんの人の仮想の世界に関わってくれば、その言
葉は生き残る。その言葉の持つクオリアが現世に価値あるものであれば、現
世に生きる人それぞれが、その言葉を自分の仮想の世界に取り込んでいるの
である。

この本を通して非常に考えさせられた。
著者は東京大学を出ている秀才であり博学家である。幅広い知識を持ち、脳
科学の専門であるが文学や哲学にも秀でている。脳やその仮想の世界につい
て論じたブルーバックスのような本であれば、図解入りでわかりやすくさ
らっと読めたかもしれない。ところが、これは哲学書であり評論書であっ
た。大学受験前に小林秀雄の難解な文章に悩まされた私にとっては、その再
来であって苦労させられた。

しかし一方でこういった難解な哲学書を若いときに読むことを挑戦してこと
ごとく敗れ去ったが、関心のある脳科学にについて書かれていたのでどうに
かついていくことができた。

「自我とは何なのか?」「世界とは何なのか?」と深い思索の旅をするため
の道案内としてこの本は価値がある。

Written by in: 楽天日記 |

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