3月
28
2007

結婚記念日とフィリピン人である妻

今日は結婚記念日。結婚13周年になった。
結婚式はいろいろな要因で私の誕生日の次が結婚式になってしまった。だ
が、これで結婚記念日を忘れることはないというのはラッキーだ。

写真はソフトバンクのPDA’X01HT’で撮りました。妻がうまく取れたと言って
喜んでいますので載せます。

結婚がこんなに長続きできたのは、妻と子どものおかげだと思います。
私個人の能力ではとっくに離婚していただろうと思います。長い結婚生活に
は、離婚届を手にしたこともありました。いろいろあったけれど妻が忍耐を
貫き通したからだと思います。熟年離婚という言葉もあるので、今後どうな
るかわかりませんが、できればこのまま結婚を続けることができればなと思
います。

妻はフィリピンのボホールで生まれ育ちました。
日本で言えば、四国の徳島のようなところかなと勝手に思っています。首都
のマニラからは遠いのですが、都会であるセブからは飛行機で20分、高速船
で2時間弱です。ボホールの人口は100万人、その州都のタグビラランは人口
10万人ほどですが、リゾートや観光資源があるので空港があります。

セブとは同じ方言のセブアーノ語(ビサヤ方言ともいい)といい、文法はタ
ガログ語と同じようですが、日常会話で用いる単語が異なるので、マニラか
ら来た人はさっぱり通じません。

妻のお父さんは若い頃に絵を独学で学び、自らデザインを生業とする事業を
立ち上げました。いまの日本ならば、ホームページのデザインや工業製品の
デザインなどありますが、当時も今もまだ看板の絵描きや、ジープニーとい
う乗合バスのデザイン、Tシャツのデザインをする仕事です。

弟子を雇ったり息子たちにいろいろと教えましたが、商売は伸びませんでし
た。経営が下手だったのと、子どもが10人いたことでお金がかさんだんだと
思います。

そのうちの弟子は、セブで独立したり、ダバオで独立して、ビルを建てたり
しているようです。やはり技術はよくても、商売が下手だったんだと思いま
す。私がお父さんに少額を投資したときも、帳簿類が一切無かったのですか
ら、さもありなんです。

お父さんが21歳のとき、お母さんが19歳のときに結婚しました。
お父さんはハンサムでとても優しい人で、奥さんや子どもに一度も手を上げ
たことがなかったようです。いつもニコニコとしている一方で、地元のコ
ミュニティのリーダーなども勤めたことがあるそうで、信頼されていたそう
です。お母さんは美人で有名だったそうですが、感情の起伏が激しく男勝り
だったそうです。

お父さんの仕事は少しずつよくなっていたけれど、なにぶん子どもが10人も
いたのでフィリピンの中でも貧乏な生活をしていたそうです。兄弟は、女、
男、男、女、女、男、女、女、男、男となり、妻は上から4番目で次女にあ
たります。上から7番目の妹は病気で亡くなっていますから、今は9人です。
当時でも妻の家庭は子だくさんで、普通の家族は3人?4人です。今はフィリ
ピンでも2人が標準で、妻の妹は娘一人だけです。

妻が言うには小学校のときはサンダルも買えず、裸足で学校へ行ったとか。
下の兄弟の面倒を見るのは当たり前で、100mぐらい離れたところにある井戸
へ水汲みに行ったり、1kmぐらいはなれた川へ洗濯しに行ったりしたそうで
す。ちょうど私の父母の世代と、妻の生活が話が合うのがおもしろいです。

妻の兄弟は微妙に顔が異なっており、決して同じ顔に生まれていません。そ
の中でも、比較的できがよかったのが妻と下から2番目の弟。

下から2番目の弟はプレイボーイで、女がほおっておかないタイプです。
ルックス良しでやさしく女の方から交際を申し込んできます。本人はちゃら
んぽらんな性格のため、あちこちに女を作って孕ませてきました。そのうち
女のお父さんか、女に好意を抱いている男に殺されるぞと注意してきました
が、一度それでダバオへ逃げました。一度結婚に失敗して、それを含めれば
3人の女性に子どもが5人いたと思います。

妻は色黒ですが小さいときから、目がクリリとしてかわいい子だったようです。
本人は親戚や兄弟が早くから結婚してその後苦労しているのを見ているの
で、結婚だけはするまいと思っていたそうです。男にも興味はなく、男から
声をかけられても無視していたようです。恋やデートには関心がなく、不幸
になるだけと信じていました。

以前のブログに書いたように、ひょんなことで私と妻が出会いました。
私はダイビングで空いた時間で、現地の人と話ができればいいなと思う程度
でした。

20年前からフィリピンパブとかの話があって、違う世界だと思っていたし、
万一結婚しても仕送りなども問題があって大変だろう。まずありえないと
思っていました。本だけでなく実際に日本とタイの二重生活をしているとい
う人とも会ったことがありますが、結婚してからは大変そうでした。日本で
稼いで、しばらくするとタイへ行ってそのお金で家族と生活するのです。お
金がなくなると日本に来て働くという繰り返しです。

ただ最初に就職したときにシカゴで研修を受けたのですが、その研修をサ
ポートするスタッフがフィリピンから来ていました。みんな英語がうまく
て、かわいらしい女性もいたし、フィリピン人に対しての印象はよくなりま
した。またシカゴへ行くと、優秀な中国系フィリピン人のスタッフが来てい
て、何度も話す機会が持てました。フィリピンを旅行中、何度かフィリピン
人と英語を通して話すことができたことも、さらにフィリピンという悪印象
が薄くなりました。

妻と出会ったときは当初結婚することは全然考えていなくて、フィリピンに
できたかわいい女友だちという感じです。2回目フィリピンに行ったときに
は、彼女の家にホームステイをしたのですが、それはフィリピンの人たちの
生活に直接触れたかっただけです。変な下心を出したら、未婚の彼女にとっ
ては不幸になるから敢えて避けていました。

だけどホームステイをしていると、彼女の心に火をつけてしまったようで
す。彼女は男に対して全く免疫がなかったからもしれません。あれよあれよ
という間に結婚することになりました。

まだ結婚には早すぎると思っていました。しかし結婚は状況や条件を抱え込
むとたぶん結婚に踏み切れないのではないかと思います。

彼女がフィリピン人であることが、将来子どもが生まれたときに差別を受け
るのではないかとも考えました。でももし彼女がフィリピン人ではなく、ア
ジア人、普通の女性、普通の人間として考えたらどうであろうかと考えたと
き、フィリピン人であるということは考えなくなりました。

実際に結婚していて、妻がフィリピン人だから××なんだということはありま
せん。個人として××だと考えます。たぶん私も変わっている人間だと思いま
すが、妻も変わっています。フィリピン人は人づきあいがいいと言われてい
ますが、妻は一人でいたり仲の良い人とだけ付き合い、友だちは多い方では
ありません。フィリピン人は歌と踊りが上手ですが、妻は得意ではありません。

また初対面のフィリピン人に、「フィリピン人ですか?」と聞かれずに「ト
ルコ人ですか?」と聞かれたり、最近近くに増えてきたブラジル人に同じブ
ラジル人だと思われてジロジロ見られたり、ポルトガル語で話しかけられま
す。高い鼻や立体的な顔を見ると「先祖にスペインの血が入っていない
か?」と妻に尋ねたんですが、「まったく親戚にそんなことはなく。純粋の
フィリピン人だよ。マレー系だよ。」フィリピン人にも色が黒いと言われて
います。。。

まあ同じ人間だから、どんな血が入っていてもいいじゃないと思います。
(そんなこといったら、世界中のナショナリストから怒られてしまいますが)

Written by in: 楽天日記 | タグ: ,

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