7月
17
2006

ゴラン高原

いまイスラエルがレバノンへ侵攻しているようだ。

ちょうど、ゴラン高原のあたりで戦っているようです。
日本の自衛隊もPKFとして派遣されていて、アラブ人やイスラエル人そして
自衛隊の安否も心配です。
この中東問題は、イスラエルが1948年に建国してから第4次中東戦争も含め
て小競り合いを含めれば年中戦争しています。

どうして石油もないこの場所で戦争が起きるのかといえば、よくわからな
い。エルサレムが、ユダヤ教とキリスト教とイスラム教の聖地を兼ねてい
て、その実験を握りたいということもある。ユダヤ人が住んでいたけれど、
バビロンの捕囚以後に世界中に散らばってしまい、その後にアラブ人がたく
さん住み始めるようになったということだ。

イスラエル建国までの近代は、あのあたりはオスマントルコの領土でその後
はイギリスの植民地となっていた。ユダヤ人とアラブ人は共存して、一緒に
住んでいた。イギリスは、ユダヤ人とアラブ人のそれぞれに建国の約束をし
た。そして第2次世界大戦後、ユダヤ人はホロコースト(大量虐殺)の事実
に脅威を感じ、建国を急いだ。その建国は当初穏やかだったが、パレスチナ
に住んでいたユダヤ人が脅威を感じ、また周辺のシリア、レバノン、ヨルダ
ン、エジプトが協調して侵攻した。なんとかイスラエルはそれを凌いで、戦
力を増強した。1968年の第3次中東戦争のときは、1週間でシナイ半島とゴ
ラン高原を占拠した。

その後、エジプトとイスラエルは平和条約を締結して、シナイ半島はエジプ
トに返還された。

このあたりの歴史を知っているだろうか?
日本には遠い話であるが、ヨーロッパ人や中東の人はみんな関心が高い。し
かし日本のニュースにはほとんど載らない。

1988年に放浪しているときに、トルコに3ヶ月いたあと、シリアへ行った。
正式には、シリア・アラブ共和国という。シリアは、今のアサド大統領のお
父さんがクーデーターをして大統領になっていて、独裁政権をしていた。そ
のため、秘密警察がはびこっていて怖い状態であるが、逆に治安はよかっ
た。泥棒はいないし犯罪も少ない。

ダマスカスのユースホステルに泊まっているとき、カナダ人の女性2人から
聞いた。なんでも休戦地区のゴラン高原へ行けるそうである。行きかたを詳
しく聞いた。ダマスカス市内の高級住宅地にある陸軍の事務所へ行って「許
可証」をとる。その許可証には、日時と名前が載ってあった。翌日、バス
ターミナルからバスを探す。ゴラン高原のクナイトラへは行かないが、その
途中まで行くバスがあるので、それを探してバスに乗った。

1時間近く乗っていくと、途中で軍隊の検閲があった。
軍人が乗り込んできて、私だけが降ろされた。少し怖かった。詰所で座って
待っていろという。20分待っている間に、トラックや他のバスが検問を受
けて、去っていった。白い服を着た軍人がジープに乗ってやってきた。

英語で名前を尋ねてきた。
そうだと答えたら、握手を求めてきた。
まずはジープに乗れという。ジープの後ろの席に座って、ジープが走り出し
た。これから、クナイトラの街を案内するという。

ジープには、運転手と英語を話す人の2人だった。
英語を話す人は、将校だという。外国人が来たときに英語やフランス語を話
して案内するのだという。私のような貧乏旅行者が来てしまっていいのだろ
うか?

ジープで20分ぐらい乗っていると、町のようなところに来た。ドイツが敗
戦したときのベルリンの様子をみせるいろいろな映画や、「スターリング
ラード」という映画を思い出す。コンクリートの建物があるが、屋根がな
かったり、壁に銃痕が残っていました。1968年当時は2万人が住んでいた街
でしたが、20年後の1988年では4人だけだそうです。映画館らしきところへ
も連れて行ってくれましたが、木の椅子のほとんどが壊れていて、天井に穴
が空いていました。1時間くらい、ジープに乗せてもらって、いろいろと英
語で説明してくれました。しかし、残念ながら半分くらいは聞き取れません
でした。

最後にシリア側の前線へ連れて行ってもらいました。そこは南北に有刺鉄線
が敷かれており、有刺鉄線が切れているところに高くフェンスが2重にあり
ました。そこから100mぐらいのところまで道があり、そこにはイスラエ
ルの国旗が掲げられた前線がありました。道はただ、草が生えていないだけ
の、コンクリートもアスファルトもないところです。ただ国連軍のジープが
毎日行ったり来たりするためにできたタイヤ跡です。

有刺鉄線の間は、草がぼうぼうに生えています。そして、”Mine, Here”(地
雷注意)と書かれたドクロマークの木の看板がありました。前線基地にはシ
リアの兵士が数人と国連軍がいました。オーストラリア・カナダ・フィンラ
ンドから来ている数人の兵士です。彼らがジープに乗って、毎日シリア側の
前線基地とイスラエル側の前線基地を何度か往復するそうです。

最後にシリア軍の将校は、前線基地の近くにあるカフェのようなところで、
サンドイッチを用意してくれました。そのとき何か質問はないかと聞かれた
のですが、こんな複雑なことを私ごときが質問できるわけではありません。
ここは20年前に空爆されたり機銃掃射を受けてから、何も触らずそのまま
にしてあるそうです。それを外国人らにイスラエルが何をしたかということ
を見せるのだそうです。

そして最後にバスから降ろされた検問所まで、ジープで送ってくれました。

シリア軍の許可証には、「たとえ戦争に巻き込まれて命を落としても、一切
シリア軍には責任ありません」という宣誓書にサインをしたことを恐ろしく
感じました。まさしく「そこにある危機」です。日本ではやっと北朝鮮問題
で少しは戦争を危惧していますが、毎日のようにイスラエルやその近隣では
テロや戦争で何人も死んでいて、明日自分が死んでも不思議ではないという
地区があります。

ちなみにシリア人は「イスラエル」と呼びません。
彼らは「シオニスト」と呼んでいました。
そしてシリアの地図をみると、そこは「パレスチナ」と書かれていました。

ナチスにされたことを、いまイスラエルはパレスチナ人に行っています。し
かしそれを解決するのはあまりにも難しいです。

ゴラン高原はこの辺かな?ちょうど色が縦で分かれているところがあるでしょう。
たぶんここが戦時境界線だと思います。

http://maps.google.com/maps?f=q&hl=ja&q=syria&ie=UTF8&t=h&om=1&ll=33.004633,35.841522&spn=0.214212,0.676346

写真はここから引用しました。
http://www.damascus-online.com/Photos/Golan1/golan.htm

Written by in: 楽天日記 |

コメントはまだありません »


コメント&トラックバック




トラックバック URL

コメントのRSS feed