7月
05
2006

チベットのラサへ鉄道がつながった

(写真は、Google Earth でみたラサ市の写真で、赤く線を引いたのは、た
ぶん建設中のチベット鉄道とラサ駅だと思う。)

ニュースで、とうとう中国の青海省のゴルムドとチベット自治区のラサが鉄
道でつながってしまったそうである。

これまでペルーで一番高度があった4800mを超えて、5080mの高さとなる。
さらにこの鉄道は西に向かって、チベット第2の年シガツェにつながり、南
に向かってブータン国境のそばまで行くという。

これでチベットの中国による実効支配は固まったということだろうか。

チベット高原はもともと海の底にあった地形が、インド大陸の移動で持ち上
がった。そのため深いところにあった鉱物資源が浅いところにあるので、チ
ベット高原は地下資源に恵まれている可能性がある。

この鉄道のルートで19年前にラサへ行った。
蘭州から西寧へバスで行き、鉄道で西寧からゴルムドまで行き、そこからバ
スで2日かけてラサへ行った。西寧が青海省の省都だが中国にしては小さい
地方都市である。ここ青海省もチベット人がたくさん住んでいるように、か
つてはチベット帝国の一部であった。

当時の中国は、鉄道は中国人民の1.75倍という外国人料金があったが、バス
は中国人民と同じだった。例外は、チベット自治区内のバス路線で中国人民
の2倍という外国人料金があった。運がいいことに、この切符は列車の中で
人民料金で買うことができた。それでも特別バスなので、他と比べて高く
100元ぐらい当時の両替率で3000円ぐらいしたであろうか。

ある中国人が言っていたが、人民は税金を払っているから人民料金で、外国
人はその税金分だという。だが、それは外貨獲得のための国を挙げてのボッ
タクリにしかみえない。ホテル、飛行機、鉄道、観光スポットには全て外国
人料金があって、2倍以上していた。しかし、地方の長距離バスや船は外国
人料金がないし、港澳同胞料金という枠があって、それは中国人民と同じ料
金になっていた。その意味は、香港、マカオ、台湾からと華僑は同じ漢民族
だからという料金設定であった。たいてい中国人民と同じ料金だった。だか
ら税金云々というのは論理に反していて、たんなるボッタクリだ。(スリラ
ンカかミャンマーでは外国人料金が100倍以上という観光施設もあるそうだ。)

実際に、シンガポール人や香港の人と一緒になったり、自分を香港人と偽っ
て、人民料金で鉄道に乗ったりしたことがある。飛行機やホテルでは身分証
の掲示を求められるので、ばれてしまうので最初から日本人だといって外国
人料金を払うんだけれど。

バスでゴルムドからラサへ向かうとき、およそ時速100km/s ぐらいで、ほと
んどまっすぐの道を1500kmほどを走る。高原というよりは、草の生えていな
い砂漠のようなところなので車窓を見てもおもしろくない、ときおり峠と思
われるところで小さな布をロープに巻きつけたものをみる。片側一車線の道
だけれど、ほとんど車の往来はなく飛ばしている。しかし、1日では無理で1
泊2日かかるそうだ。昼過ぎに出て、途中で一泊して、翌日の昼ごろにつく
という予定だ。乗り始めたときはなんともなかったが、宿に着いたとき頭に
鈍痛をおぼえる。夕食もとれず、ベッドで横になっていた。酒を飲みすぎて
頭痛を感じるようなもので、一晩中頭痛がしていた。しかし、翌朝は頭痛が
かなりおさまっていた。あれが高山病だったか。死に至ることもあるという
高山病、周りの人も程度の差はあるけれど同じような感じだったので、そん
なものかなと思った。

ゴルムドはおよそ高度3000mで、途中の峠で5000mを超える。ラサが3600mぐ
らいの高さだろうか。だから徐々に高度に慣らしていけば高山病はあまりひ
どいことにならないそうだ。当時でも、成都から飛行機でラサへ行く便があ
り、その飛行機で行くといきなり高いところに着くので、高山病になりやす
く酸素ボンベが用意されていた。まず着いた初日は高山病のため、身動きが
取れないそうだ。

一度高山病になってから、それ以降は5000mの高さへ言っても高山病になら
なかった。だけど、空気は乾燥しているので喉が渇きやすく、高度があがる
につれて息が苦しくなった。5000mあたりを20kg以上の荷物を持って歩いた
ら、スローモーションのような感じでしか歩けない。高度を200mぐらい下っ
たら、普通に歩くことができた。そんなこともあった。本当に登山をする人
はすごいなあと思った。

20年前に、Lonely Planetという旅行出版社から発行された”Tibet - 
Survival Kit”という本を持って、チベットに来ていた人が多かった。私の
持っている「地球の歩き方」ではチベットの情報がほとんどない。だから他
の日本人の旅行者に情報を尋ねるしかない。1986年から1988年ぐらいにかけ
てが、一番チベットを旅行しやすいところだったかもしれない。その後、チ
ベットでデモが起き、内乱が起きて、旅行許可証が必要になって制限され
た。ドイツ人やアメリカ人の中には、ネパールからチベットへ入境して6ヶ
月すごすという人もいた。

当時はチベットは地球で最後に残されたフロンティアだと思った。しかし、
本当に何もないところなので、どこかに取り残されたら命の保証もない。
100年前にチベットへ行って仏教を学んだ、河口慧海さんの伝記に出てくる
ような感じはかわらなかった。治安がいいのはラサなどの都市で、車にヒッ
チハイクして殺されても誰にも見つからないし、すぐに腐敗するだろうと思う。

しかし20年経って鉄道も敷かれるようになれば、もう地球上に探検するよう
なところはないですね。どこに行っても、コカコーラはあり、テレビはあ
り、携帯電話もあるだろう。世界中どこへ行っても、同じような街や人となる。

Written by in: 楽天日記 |

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