4月
23
2006

今の若者は...

「今の若者は...」といい始めると、年を取ってきたといわれる。
いつの世も年寄りは「今の若者は...」という言葉をいうそうである。2000年前のイタリアのポンペイ遺跡にもそういった記述が壁に書かれていたようです。

中津川で中学生の女の子が高校一年の男に殺された。
年頃の子どもを持つようになると、今まで気にならなかった事件につい目が言ってしまう。
これまで年齢的には無関係の事件であるが、子どもがその歳に近づいていくと「うちの子は大丈夫だろうか?」ということになるかもしれない。

原因は「恋愛のもつれ」のようである。
新聞記事には、「今の若者は振られたりしたときは、逆ギレしてしまう人がいる」と書いてあった。いささかステレオタイプな見方だと思うが、そういう傾向があるかもしれない。自分のプライドが傷ついてその傷を認めたくないので相手の方が間違っている、という考えに向くのかもしれない。

昨日読んだ本でも、20代の人は小さくまとまっているという。ベンチャー企業を起こす一部の人を除いて、うまく立ち回る人が多い。あまり人を信用しないそうだ。またニートを生み出している世代でもある。

日本の世の中が裕福になって、社会主義的な制度が根付いて楽に生きれる世代である。欧米の先進国も同じようなところがあるかもしれない。しかし、ふと追い上げてくる他の国、中国やインドなどを見るとこれから生活が豊かになるという夢を持って競走を繰り広げている。

昨日のブログで触れた本も、今の若者は「ガラスの心臓」を持っていると書いてあった。心が傷つきやすく、きつく叱ったりするとプライドが傷ついて立ち直れない。そしてお互いに傷つくようにはしない。

グローバルしつつある中で、隣で中国人やインド人が働きつつある中で一緒にやっていけるだろうか?生存競争を戦ってきた中国人やインド人は、日本で言えば団塊の世代に相当する。彼らはこれまで傷ついても傷ついてものし上がってきた人たちである。そのような人と戦っていかねばならない。

こういった戦いは、世界が平準になるまで続くと思う。
世界において富が一部に偏っている限り続く。日本の鎖国時代のように世界とは交易を閉ざした結果、日本の中では落ち着いた江戸時代が続いた。しかし、その鎖国がギリギリとなったときに、鎖国の壁を一気に壊すように開国・明治の時代となった。

日本もメーカーは海外で商品を売って国際化をしていたが、金融業、建設業など内向きの業種は国際化されていない。それが金融ビックバンなどで国際化が流れてきたときに、さまざまな弊害が出てきた。

子どもたちはこういった時代の寵児である。
こういった時代に生き残れるように教育するべきだと思う。うまく教育されなかったとしても、本人の問題である。私はニートを保護するとかは間違っていると思う。ニートを保護するよりも、中国やインド、東南アジア、アフリカの優秀な若者を連れてきたほうが良いのではないかというのは言いすぎであろうか。

しかし、学校で落ちこぼれた人にも敗者復活はある。
高校や大学へ行かなかったとしても、社会人になって学ぶことは山のようにある。
だから多少のことは諦めずに生きていって欲しい。

世の中には辛いことがたくさんあるが、それも人生のスパイスである。それをあまり楽しめずに死んでいった女の子に追悼をささげたい。

Written by in: 楽天日記 |

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