4月
06
2006

フィリピンでの結婚 その7 結婚披露宴

披露宴はおよそ12時半ぐらいに始まりました。
場所は、J.J. Seafood Restaurant というレストランだったと思います。

もうみんなお腹ペコペコです。
といっても、私と妻はレストランに入れません。皆さんが席に着くのを外で待っていました。

司会者の合図とともに、また楽団の演奏です。披露宴会場に入っていきました。
150人分の席はあるものの、120人もいないかもしれません。
私と妻が座るところは、ステージの上の中央でした。
ステージの上には妻の両親と私の両親、そして特別な計らいで妹も座っていました。

人間誰しも一生に一度くらい、主演になれるときがあるものです。
まったく恥ずかしい限りですが、そういうときは素直に演じなければね。

ステージのすぐ下には後見人の人が6人座っていました。

他の席は、15?18人座る丸テーブルが8つあります。座る席は予め決まっているわけではなく、適当です。

後見人の席の左側にマイクがあり、右側にウェディングケーキが飾ってありました。
ケーキは2段で、高さが30cmぐらいのものです。白いクリームにピンク色の飾りがたくさんありました。そしてケーキの横には、後見人やゲストの方が持ってきたプレゼントかありました。グラスや皿、ボール、フライパンなどがありました。ここは現金の贈り物はせず、プレゼントで祝うそうです。うれしい、けれど、日本に持って返れない。いただいたプレゼントは感謝を伝えたうえで、妻の親族で分けることになりました。

料理はステージの上の席と後見人の席のところが少し良いものが並んでいるようで、他の丸テーブルの席にもいろいろあるようです。飲み物はビールかソフトドリンクの飲み放題だったと思います。あちこちで、ビールが足りないぞぉと言っているようでした。

司会者がマイクをとって、披露宴が始まりました。

司会者がいろいろ話をした上で、私に挨拶をするようにいいました。
前日に用意した英語の原稿を読み上げます。
英語でスピーチなんて、しゃれたことはできませんので、今日の結婚式が成功したことの御礼と私たち夫婦の出会いのいきさつと、これからのことを簡単に述べました。ぜんぜんフィリピンの言葉を話せませんが、妻から教えてもらったビサヤ語の挨拶をつけたら、とても喜んでもらえました。

次に妻の挨拶でした。
ウェディングドレスを引きずるようにステージから降りてきました。全部ビサヤ語でしたが、落ち着いてはっきりとしゃべっていました。よく考えると、結婚を決断して、日本に一人でやってくるというのは、なかなか気が強いたいへんな人と結婚してしまったんだと思います。

あと私の両親が話します。
父の言葉を日本語で話すから、それを英語で訳せと言われたのですが、もう疲れていたので、かなり意訳しました。”Thank you, very much” これだけです。父が何を言い出すか、怖かったかもしれません。

妻のお父さんが話しました。こちらもビサヤ語です。いまだに何を話したのかわかりません。

次に私の後見人の一人が話しました。英語でしゃべってくれました。「期待しているからがんばってくれ」というようなことです。

妻の後見人の一人が話しました。ユーモアたっぷりに、妻のお母さんのようにたくさん赤ちゃんをつくりなさい。

どちらの後見人も妻の小学校の先生だった人で、妻のことを良く知っています。遠い親戚でもあります。

司会者が英語でいろいろ話しました。
日本人は私が子どものとき戦争時代にあったことがあると。日本人の兵隊は悪いとされているが、私の会った憲兵隊の日本人将校はかっこよくていい人だった。そんな感じの青年であると、よく言ってくれました。

その後、ダンスになりました。
私と妻が社交ダンスを見せるのですが、2人とも踊れません。
でも音楽に合わせて適当に踊りました。踊りますと、みんなが服にお金をクリップなどで止めてくれます。
(私たちはダンスが下手だったのかもしれませんがほとんどありませんでした。妻の弟の結婚式では、服がお金だらけになりました。ダンスのときにお金をクリップで留めるというのは、お祝い金の習慣のようです。)

ダンスの後、各テーブルを妻と周り、(キャンドルサービスではなく、)グラスにビールを注ぎながら挨拶をします。「来てくれてありがとう。」

その後、ケーキのところへ行って、私がケーキを少し切って妻の口に運びます。妻も私に対して同じことをします。いただいたプレゼントを開けてみて、お礼を述べます。

余興に、子どもたちを集めクス玉ようなものを割らせます。クス玉が割れると、1ペソの硬貨がたくさん落ちてきて、子どもがそれを集めます。

そして、未婚女性を集めます。
未婚女性を列に並ばせたところで、妻が後ろを向いて、ブーケを投げます。
偶然、私の妹が取りました。妹はこのときまだ出合っていない男性と、約2年後に結婚しました。

未婚男性はこのときは集めませんでしたが、妻の弟の結婚式では花嫁の履いているストッキングを投げたようです。

司会者のいうとおり進めていって、何がなんだかわからないうちに終わってしまいました。
でも食事はほとんど食べていませんね。

披露宴がおわったのは2時半ぐらいになっていました。
みなさんに感謝とお別れを言って、見送りました。

それから、実はハネムーンです。本当に妻が喜んだハネムーンは、それから6年後のイタリア旅行ですが、簡単な新婚旅行をしました。

私の両親と妹を連れて行かなくてはなりませんし、妻は海外へいけません。そしてお金もありません。
その結果選んだのは、ボホールのチョコレートヒルズです。

いい写真がありますから、紹介します。
http://4travel.jp/traveler/carmen/album/1xxx-xxx-xxxxx/

ジープニーを1台チャーターしたまま、家族全員で行きました。
2時間ぐらいの距離です。
みんなボホール生まれなのに、チョコレートヒルへ行ったことがない人がいます。

私はこれで3度目かな。妻と1月に行き、今回のハネムーンのホテルの予約をするために、事前に来ていました。チョコレートヒルは、高さ数十メートルの、お椀にご飯を持ったものをひっくり返したような小さな山が、数十個?100個以上?ある奇妙な景観です。

地学上も、特殊な存在らしいです。

チョコレートと名づけられているのは、秋になると木の葉が枯れて、茶色に変わるから、そのような名前がついているそうです。たぶん桂林と同じように、石灰岩が溶けているから、変わった形になったんだと思います。

そのチョコレートヒルまでやってきて、私と妻、そして私の両親と妹はホテルにチェックインしました。
他の親族は日帰りで返ります。チョコレートヒルの頂上に登ったころには夕方4時頃です。初めてきた人も多くて、みんな感動していました。日本とは違って遠足で来ることもないし、旅行もしないんだなとびっくりしました。

夕方5時頃、他の人たちはジープニーに乗って帰りました。
まだ明るいですが、帰途に着くころには日が沈んでいるでしょう。日本と違って、夜の灯りは乏しいので、真っ暗になっていると思います。

一方、チョコレートヒルにあるホテルは、すごかったです。
まず水が出ません。ポンプでくみ上げた水を、ホテルの各部屋の大きなカメに貯めてありました。
身体をふくのとトイレの分では十分でしょう。もちろんお湯なんてものは、ありません。

レストランの客は私たちだけでした。そういえばホテルも他にお客さんはいなかったな。
従業員は2人ぐらいだけ。メニューを持ってきてくれましたが、チョップスエィ(野菜炒め)とアドボ(お肉)とご飯だけです。食べれるもの何でもいいやという感じで、食べました。

そして電気も停電だそうです。
ろうそくを灯して食べました。

部屋に1つずつのろうそくを渡されました。部屋も真っ黒。
今日はくたくたで、すぐに寝てしまいました。

翌朝、6時頃目が覚めてベランダに出てみると、感動です。
ジャングルにいるみたい。チョコレートヒルの少し高めのホテルから見る、景色は格別でした。
チキンの泣き声が遠くから聞こえ、鳥のさえずりが聞こえます。
少し霧が森にかかっており、その森の上からみる景色です。
チョコレートヒルの山が、ポコ、ポコっと並んでいます。

もう一度チョコレートヒルの山の上に登ってみると、同じようにすがすがしい景色でした。
でも日が昇って、暑くなってきたので、山を降りました。
ホテルで朝食を軽くとって、山を降りました。
幹線道路のところまで数百メートルを歩いていって、そこで30分くらいバスを待ちました。
バスに乗って、妻の実家へ向かいます。

今はもうちょっと近代的なホテルになっていると思いますが、バンガローみたいなホテルでした。

Written by in: 楽天日記 | タグ: ,

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