4月
02
2006

フィリピンでの結婚 その4 ビザのこと

今日はエイプリルフールですが、これはうそではありませんよ?。
翌日の4/2に書いている(泣)。

結婚式を書こうと思ったんだけれど、それよりも大切なビザのことがある。
結婚式の滞在期間は6週間である。
なんでこんなに長いのかは前述したけれど、フィリピンの結婚制度をフィリピン人のように当てはめたら、1ヶ月かかった。妻の親族には外国人と結婚したケースはなかったので誰も外国人と結婚する事情を良く知らない。同じ部落にもいなかった。こういうことは結構まれなんだけれどね。

だから妻と結婚する前には、妻のお母さんが娘に対して「日本大使館へいってらっしゃい。夫がやくざかどうか尋ねてきなさい。」という。フィリピン人は日本人に対してまず、「やくざか?」と思うようだ。フィリピン人は、日本へ行くとやくざにだまされてひどい目にあうと思っているようだ。

観光ビザ

日本人はフィリピンへ行くときは、ビザがいる。ただ観光でいくならば、3週間はビザはいらない。
今回の渡航はあわただしかったので、東京や大阪にあるフィリピン大使館でビザをとらずにフィリピンへ行って、滞在中にビザを延長することにした。

フィリピン国内でビザを延長できたのは、マニラとセブとダバオの3都市だけだった。
(いまはもっと増えたかもしれない。)
結婚の準備を2週間ほどかかったあとは、2人でセブへ行った。
婚前旅行だが、まあ許されるだろう。

スーパーキャットという名前の高速船で、タグビラランからセブまで1時間半ぐらいでいける。この船ができる前は、6時間ぐらいかかった。その時間を節約するため、セブからボホールで一番セブに近い街トゥビゴン(Tubigon)まで船で2時間半くらいで行き、そこからバスで1時間ぐらいというルートが多かったが、この高速船ができてからは廃れてしまっただろうな。実は、セブからタグビラランまで飛行機で30分、実質プロペラ飛行機に乗っているのは15分というのもありました。1500円也。

↓良い地図と案内があったので、紹介しておきます。
http://cozumelun.fc2web.com/02bohol.html

セブはビザを取るためなので、2泊の予定です。ボホールに比べたらセブは都会です。
妻にとっては同じ言葉を話すところで、気楽です。セブとボホールは同じビサヤ方言を話します。他にミンダナオ島の北部とレイテ島の一部でしょうか?他では方言が違って通じません。共通の単語もありますが、まず通じないみたいです。フィリピンでは部族によって言葉が異なるため、おそらく日本よりも言語の種類は多いようです。数字だって、ビサヤ方言はスペイン語を借用していますが、タガログ語は独自のものですから。

セブのイミグレーションを探していきました。
中央政府の建物の一室がイミグレーションで、おじさんが2人いました。
ビザの申請とは別に、興味本位で「どこで会ったの?」「日本ではどんな仕事?」「へー結婚するんだ、結婚式へ招待してくれるか?」と冗談とも本気ともとれるようなことを言います。答えに窮していると、「はいビザ」700ペソ。当時のレートでたしか3000円弱だったと思います。
ビザは最初に21日に、38日分追加して、59日までの観光ビザとなりました。

その後、妻はサントニーニョを見たいというので、サントニーニョ教会へ行きました。
フィリピンのビサヤ地方だけだそうですが、イエスの幼児とされる「子どものイエス」の偶像崇拝しています。各家庭にはこのセントニーニョ(スペイン語で「神聖な男の子」という意味だそうです。エルニーニニョと同じ語源ですね)の像が、大切に祭られています。
妻もこの教会へ行ってお祈りをしました。2mぐらいある「セントニーニョ像」が祭られていました。そこでろうそくを買って灯し、セントニーニョの足を手でなで、そっとキスをします。

http://www.cebuguide.net/guide_citytour.htm

その後、サンペドロ要塞やマゼランクロスを見ましたが、似たようなヨーロッパのものに比べると見劣りします。とはいえ、歴史を感じることはできました。

婚姻ビザ

いまの結婚のビザと手続きが少し異なると思います。
1994年当時は、まずフィリピンで結婚します。
結婚の証明書のコピーを持って、パスポートを取得します。
その後、やはりこの結婚の証明書のコピーを持っていって、日本大使館へビザを申請します。
当時は、「親族への訪問ビザ」です。
私と妻はこのとき結婚しているので、日本に住んでいる夫に会うためにこのビザを取得します。
その後、日本に来てから、婚姻ビザに切り替えるのです。

私は日本に来ることができるかどうか心配でした。
当時、コンサルティング会社を休職中で、大学院へ進学予定という身分です。収入は0で貯金で生活をしています。この身分で大丈夫かどうか?コンサルティング会社は大手でしたので信用してもらったようです。

もう一つ、たくさんの人から「ビザがもらえない」という話を聞いていました。
大使館で申請のため並んでいると、最初はなにかにつけ外で炎天下を2時間くらい並ばされていました。国際結婚というのはこんな試練があるのかとびっくりしました。
長く並んでいると自然と前後の人と話をすることになります。
前にいる人は、「夫は日本にいるんだけれど、もう1年もビザがおりていない。そのため、何度も並んでまっている。」そして、並んでいる列では結婚相談の案内のちらしを配っていた。

結婚式の日、数日前に妻の家から歩いて数分のビーチへ行ったところ、偶然に日本人とフィリピン人女性のカップルがいた。挨拶をして話してみた。奥さんは日本語がかなりしゃべれる。

「もうすぐ結婚するんです?。」
「おめでとう、私たちは去年結婚したの。長崎から遊びに来たんですよ。あなたは?」
「名古屋です」
「結婚は大変でしたよ。なかなか私のビザが降りなくて。半年以上待ったかな…」
「それで、地元の国会議員の先生のところに菓子折りをもっていきました。そして、しばらくして電話があって、いまビザの申請をしなさいって、するとすぐにビザが下りたの。」
「むむっ、そんなに大変なの」

そこで、妻が日本に来れるのは3ヶ月くらい後になるかなと思いました。
最悪のケースとして妻が日本にこれない場合は、マニラへ私がいって一緒に住むことも考えました。
フィリピンに関してのメーリングリスト(Phil-list-j@cup.com)で、マニラでSEを探していると話があったので問い合わせをしたことがあります。月給10万円ぐらいで、現地の給与としては良いそうです。

結局、ビザを申請したら、3日で降りました。拍子抜け?。
妻はその後、昨年大学を卒業したときの教員免許試験に落ちてしまったので、再受験することになりました。本当は予備校みたいなのがあるそうなのですが、お金のことは私に黙っていて、宅浪で受験したのですが、落ちました。フィリピンで教員資格を取るのは難しいみたい。1割2割の確率だそうです。
日本は資格を取ること自体は大学の単位をとればよくて、採用試験が大変なのですがね。

日本に来てからいろいろ知ったのですが、日本でタレントとして仕事をしていた人は厳しいそうです。そして、日本に来るときにニセモノのパスポートを使っていたり、オーバーステイをしていると、フィリピンへ帰ってから1年は据え置かれるということだそうです。

おかげさまで、妻は3ヵ月後に6/29の梅雨時に来日しました。そして、ビザの更新を1年、そして1年、3年とやって、いまは永住許可がおりています。日本国籍を取得しないの?と聞かれますが、万一のフィリピンに足跡を残す保険のようなもので、フィリピン国籍のままです。ヨーロッパやアメリカへ旅行するときは、女房にはビザが必要で少し面倒なんですけれどね。

妻とフィリピンへ帰るときは、妻は日本国外へ出て再入国するための、再入国ビザを取得しなくてはなりません。1次が3000円、3年間有効で何度も出入国できる数次が6000円です。面倒で少し高いです。私と子どもたちは、妻と一緒にフィリピンへ入国すると、バリクバヤンというスタンプを押してもらい、1年間フィリピンへ滞在することができます。だけど結婚して以来、フィリピンへ行くときはいつも2週間なんです。もうフィリピンは慣れてしまって、私も子どもたちも飽きてしまったんです。

Written by in: 楽天日記 | タグ:

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