3月
19
2006

未来予測を結構はずしていたなぁ

これまで夢を語り、そして未来予測をして、あたったこともあるし外したこともある。
ちょっとそれを振り返ってみた。

・バイトと並行して株の投資をはじめる(1994年)
○ 貯金とバイトで貯めた100万円を元に、株の投資を始める。当時は100万円ないと投資ができなかった。2割ぐらい利益が出たら売るというのを繰り返して、200万円ぐらいになったかな。バイトも含めると21歳のときには300万円ぐらい持っていた。

・NTT株の第一次放出は化ける(1986年?1987年)
○ 運よく2株買うことができて、1株だけ119.7万円→257万円で売る

・NTT株は1株400万円になる(1988年)
× 海外旅行中に母に400万円になったら売ってといっておいたが、300万円を超えたぐらいで失速した。その後150万円で売ろうとしたら、母が欲しいといったのでその値段で母に売る。その後100万円を切った。

・中国の将来はわからないが、インドは伸びる可能性があると思った(1987年?1990年)
○ 中国の本屋とインドの本屋へ行った。インドの方が本屋にある専門書が充実しているのに感激した。アメリカやイギリスにある専門書を許可を得て、英語の本を発売していた。もとより、インドは数学や哲学が盛んなところでコンピューターにおいて伸びる可能性があると思った。インドを旅行中、Prologの本を1000円ぐらいで買って勉強していました。
× 中国はインドのように貧富の差を割り切ることができない、建前上は平等の共産主義なのでむずかしいかなと思った。1987年当時は中国で中国語を勉強する本をたくさん買って帰国後に中国語を勉強しようと思ったけれど、環境や語学の才能がなかったのね。その後天安門事件があったのでだめかなと思ったが、いまは中国は伸びている。予想が外れた。

・研究しながらビジネスができる方針を立てる
× アンダーセンコンサルティングに入った目的は、研究志向のビジネスコンサルタントになるためだった。夢は大きかったが、英語と才能が足りなかったかな。環境にも恵まれなかった。その方向性は間違っていなかったが、現実とのギャップが大きすぎたと思う。ドクターを取ってアーサー・D・リトルへ行くべきだったか、それともやはり才能がなかったか。

・これからはインターネットメールで地方でも都心でも変わらない状況になる(1993年)
× アンダーセンを休職して、名古屋へ戻ってきた。これからは名古屋も東京も変わらない時代がくると思った。インターネットが花咲く前に、NIFTY-Serveからインターネットなどとメールの交換ができ始めた時代である。
しかし、メールやリモートでは限界を意識しながら、仕事をする必要があると感じている。バーチャルリアリティが実現できなければ、難しいと感じている。

・インターネットがビジネスに結びつくとは思えなかった(1994年?1995年)
× 大学院時代は、MosaicやNetscapeに触れることができた。また海外のホームページを見ることができた。そして自己紹介するホームページをつくったこともある。だけど、ホリエモンと違って、インターネットがすぐにビジネスになるとは思えなかった。大きな失敗であった。

・起業を試みる(シェアウェアの翻訳、1994年?1997年頃)
× 失敗した
シェアウェアが出回り始めていた。シェアウェアとは、ソフトをパソコン通信やインターネットで配っておいて、気に入ったらお金を払ってくださいというシステムである。
Macintoshのソフトは、文字の部分だけを簡単に置き換える構造になっていた。そのため、プログラムをコンパイルしなくても英語版を日本語版に置き換えることができる。
当時、オーストラリアのStairwaysという会社とフランス人などと契約して始めた。ただ絶対料が少なかったことでビジネスとしては成立せずやめた。毎月の売上が1万円ぐらいだった。

同じ頃、同じところに目をつけた競争相手がいた。今でもそのビジネスを続けている。会ったこともメールでやりとりしたこともないが、たぶん日本語が少し苦手なネイティブな人だと思う。彼には物量で負けてしまった。いまでもその事業を継続していることは驚いている。
http://www.bridge1.com/
Googleで私の名前を検索すると、Vectorのサイトが私の名前が出てくるのはそのときのためだ。

・起業を試みる(ビンテージジーンズ販売のインターネット販売、人材派遣、1996年頃)
× 大学院を修了するときに、アンダーセンを休職解除して退職した。そのとき、アメリカでビンテージジーンズを販売している人とインターネットで知り合った。日本での代理店となる人を探していたが、高い報酬を私が望んだせいか、話は消えてしまった。同じ頃、人材派遣会社の技術サポートをしていたこともあり、新しい人材派遣会社共同設立を試みる。こちらも失敗。
 いまにして思うと、自分の給与を確保するためのサラリーマン的な考えであったのだろう。リスクをとらすして利益を得るようなところがあったと思う。

・インターネットビジネスを手伝う(2000年?2004年)
× 最終的には取締役になったが、失敗。会社をやっていくことの難しさを感じた。仕事をがんばりすぎると家族との軋轢を生み、夢や将来像が重ならないと一緒にやってはいけない。ただ経営者サイドからモノを見ることができてよかったと思う。雇用される側と雇用する側は、まったく視点が異なる。モノの見方もまったく異なる、そういった訓練ができてよかった。
 会社として成長するためためには、「ビジョナリー・カンパニー2」で書いている条件が必要だと信じている。
 
・これから(2005年?)
? 一人でビジネスを始める。私の「情報触媒」産業が必要であると感じている。誰かが、例えばGoogle、やるかもしれないが、チャンスを失うのはもったいない。実現するためには、チャンスだけではだめで、それを実現するためにやり遂げるということが必要である。

自分では過去の未来予測をしてあたっているなぁと思ったけれど、書き出してみるとはずれていることが多いなぁ(恥)。失敗していることが多いことを実感して、かえってよかった。

Written by in: 楽天日記 | タグ:

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