12月
01
2005

続・バーチャルな世界で進化するのかなぁ?

<昨日の続き>
(最初に「昨日に続いて」と書いたのに、意識は昨日だが物理的には3日前でした。((+_+)))

私たちはヒトとして生まれた。
実態のある食料を口から摂取して、胃や内臓で分解して、肝臓でATPに置き換え(不正確?)、身体の細胞でATPを分解してエネルギーにしている。足りないミネラルや水を摂取して、という具合に物質的なところで生きている。着るものも住むところも物質的だ。

ところが、言葉やお金の発明が仮想的な方向へ一歩踏み出した。
現実でない夢を見て、他のヒトへ伝えたり、モノをそのまま摂取せず売買するような概念を与えた。

そして、紙幣・硬貨というものは、日本銀行のようなところが後ろ盾になって、みんな信頼して使っている。1万円の紙幣は、1万円の価値があると。そして、さらに進むと銀行口座の数字がお金であると信じる。銀行がつぶれてしまったり、銀行のコンピューターミスで口座が0になるかもしれないのに。

ゲームの世界やインターネットの世界も、実体のない仮想の世界だ。
電気がオフになれば、その世界は消えてしまう。私たちは、その世界に頼って生きているところがある。パソコンをオンしてインターネットに繋がれば、他のヒトとチャットはできるし、電話はできる。そしてその中でSNSのようなコミュニティもできてしまう。

私なんかコンピューターと顔を合わせて仕事をしたり、このブログを書いたりしている。ほとんどバーチャルの世界だ。バーチャルの世界の中にいて、ときおり現実の世界に戻り、食事をしたりトイレに行ったりする。ほとんどバーチャルの世界なんで、ずっとバーチャルの世界にいてもいいじゃなかとも思ってしまう。

食事は点滴でとり、五感も全てコンピューターと繋がっていて、誕生から学校へ行って、成長して、就職して、結婚して、セックスもして、そして子育てをして、定年を迎え、やがて死んでいく。それが全てバーチャルな世界でもいいじゃないか。今は科学技術が進んでいないから、ときおり現実に戻らなくてはならない。食事をして、トイレへいって、睡眠をとる。セックスをするのは現実の世界。

金融でも、クレジットカードが普及して、さらにEdyやSuicaのような電子マネーが普及してきている。お金というものが形を変えて存在している。金融の世界では、実際に存在する紙幣以上のお金が飛び交っている。金融派生商品(デリバティブ)というもので、オプションやその派生商品は完全にバーチャルな世界ではないだろうか?

かつてお金は名前のとおり、金銀銅などで作られていた。金は酸化がおきにくく不変の金属だ。酸化がおき難いのでいつも光っている、それが価値あるものとして尊ばれていた。そして金が重くて使いづらい、そして流通に限りが出てくると、政府は金を持って金との交換を保証した紙幣を流通させた。金兌換券と呼ばれていた。そのうち政府が所有する金以上の、紙幣を流通させることになった。その紙幣の保証は、ときの政府の信用である。信用が上がったり下がったりするので、インフレやデフレが起きる。金だと各国の紙幣の交換は、金の価値に基づいて行えばやりやすかったのだが、そうはいかなくなり各国の紙幣を交換する外国為替というものが始まる。そうやって紙幣がどんどんバーチャルになっていく。

私たちの周りを見回して、バーチャルでないものはなんだろうか?衣食住ぐらいだ。本も音楽も実体はあるかもしれないが、中身はバーチャルだ。だから、PDFという形の本はできるし、iTunesで音楽が購入され配布されていく。バーチャルな性質を持つものは、どんどんリアルなところを削ぎ落としてバーチャルになっていく傾向があるのではないだろうか?本も一冊という完結を持ったものではなくて、一章ごとになったり、本と同じ価値のある情報はブログなどで提供することがすすむかもしれない。音楽もアルバムの内容が一曲ずつで売られているが、そのうち一小節ずつを自分でつなぎ合わせてしまうということにもなりかねないかもしれない。

お金も紙幣やコインをみないということになっていくだろう。香港の紙幣は、イギリス統治時代は香港上海銀行とスタンダード・チャータード銀行が通貨量を決めて発行していた。政府の発券銀行はなかったのだ。EuroもEU加盟国のいまや実在しない仮想通貨をバスケット方式で決めている。

ずっと前から疑問に思っていたことだったんだけど。人間って、200万年ぐらいの間にゆっくりと進化してきたんだけど、顔かたちが変わるだけで精神的なものは何もかわっていないこと。シャーマニズムはなくならないし、占いや宗教もほとんど変わっていない。精神的にもうちょっと進化しても良かったんじゃないと思うけれども、たぶんこの4000年ぐらいほとんど変わっていない。変わったのは周りの環境だけ。特にこの数年は、情報環境が爆発しているといってもよい。でもこの環境に適合しないと、生き残れないかもしれないよ。

ひょっとしたら、これは脳の大きさに制限があるからで、頭蓋骨のサイズが決まっているので、もうこれ以上情報処理を脳が行うのは限界も知れない。そうすると、バーチャルな世界では脳の大きさの制限や物理学の法則はないので、限界というものがなくなるかもしれない。マトリックスは物理学の法則が成り立たないことがあった。重力やエネルギー保存則などだ。

私たちはバーチャルな方向に進んでいるのではないだろうか?

ここまでは常識的な話なんだけれど、そこから私たちは全てがバーチャルになったらどうなるかということを考えた方がいいかな?

例えば、お金は通用しない。時間は超越する。
そこまで考えなくても、バーチャルな世界で仕事をして、生活をして、生きている。
そうしたら、仕事というものが無意味になるかもしれないし、恋や友情や結婚といったものも、変質するかもしれない。空気がないし、食事もしなくてもいい。
いまの私たちには想像もつかない世界がそこにはあるのかもしれない。

私たちが考えることは、現実の世界のしがらみから抜け出せないからである。重力のような物理法則が生きていて、化学反応があり、生命反応があるからだ。バーチャルなゲームだって、すべて現実の世界の投影にすぎない。

(続く。本当に続くのかなぁ。事業計画書に会社の思想を入れようと思っていたら変なところまで逝ってしまった。)

Written by in: 楽天日記 |

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