8月
12
2005

10年ぶりのダイビング

今日は10年ぶりのダイビングだ。
不安が先によぎるが、なんとかなるだろう。

身支度をした後に、Alona Kewのレストランで朝食を取る。朝食は80ペソから135ペソ。80ペソはコンチネンタルブレックファーストで、パンとコーヒーとジュースだけ、120ペソはアメリカンブレックファーストで、コンチネンタルブレックファーストにハムやソーセージ、卵が付く。135ペソはフィリピノブレックファーストで、パンの代わりがご飯になり、ハムやソーセージの代わりにトッシーノという甘いソーセージになる。

ホテルの宿泊代に込みになっているが、子どもがほとんど食べないので、4人分を頼む。ところがウェイターが勘違いして5人分注文してしまった。5人分持ってきて、クレームを出したら、もう勘定に入れてしまったので、キャンセルできないと困った顔していう。妻はこのホテルでウェイトレスをして働いていたので、「気持ちがわかるのでかわいそうよ」という。それで、食べきれないので、ランチボックスに入れてくれるよう頼んだ。ウェイターは喜んでもって帰っていった。

今日はバリカサグ島という船で1時間くらいかかるところへ行くので、昼は戻ってこない。そのため昨日サンドイッチを頼んでおいた。チーズバーガーを頼んだがバーガー用のパンがないということで、サンドイッチになってしまった。

ダイビングの出発時間は9時半だが9時にギアを揃えるために出かけた。スキューバープロのBCDにレギュレーター、ウェットスーツやマスク、フィンは適当なものを選んでくれた。スノーケルはないが、なんとかなるだろう。

妻やお手伝いに来てくれている妻のおばさん(マンデン・シライという)と2人の子どもが到着した。しかし、タンクやいろいろ準備すると結局10時になってしまった。これで船は出かける。日本人ダイバー6人いた。あとはダイブマスターとフィリップ(何人だろう?カメラを持っていた)と私である。ちなみに妻とおばさんは乗船料を$6ずつ取られた。ダイビングは私だけいいのだが、妻はいつもついてくる。というか勝手にダイビングさせてくれない。子どもも小さかったせいもあるが、こんな状況なので、フィリピンに来ても10年間はダイビングができなかったのだ。

島の東側のスポットでダイビングを行った。
なんとか潜ることはできたが、耳の水圧の調整に少してこずった。
3m潜るごとに、耳抜きをする必要があった。あれこんなに耳抜きしたっけ。
潜り始めて見ると、10年前の風景そのまんまだった。潜るところは8mぐらいの海底から、ドロップオフで30mぐらいまで落ちている壁のところだ。薄い緑っぽい水の中に、ときおり珊瑚や薄紫のイソギンチャクをみることができる。

あとは中性浮力の獲得だ。
水中で沈みもせず浮きもしないように、浮力を調整しなくてはならない。空気を肺にすったときに、身体の体積が増えて比重が軽くなる。そうすると身体が浮く。反対に空気を吐き出すと、比重が重くなり、身体が沈む。まったくうごかないときはいいのだが、水深20mぐらいと10mぐらいでは再調整しなくてはいけないんだなぁ。その微調整するのを忘れていて、少し苦労してしまった。ただ息を吸うのを我慢したせいか、だんだん頭痛がしてきた。1時間ぐらいして、上にあがろうとしていた。あれ、すぐにあがらない。

そうだ、水深5mのところで5分安全停止するんだった。これで血液の中から窒素を抜く。そして水上に上がった。水上に上がったところでボートが迎えに来た。フィリップが上がるのを観察していた。そうだ、最初に重りからあげなくちゃ。次にBCD、そしてフィンだ。フィンを水中で外したので、船のステップに近づけなくなった。あっ、フィンを外しちゃ行けない。フィンを外したら全然泳いでもすすまないや。慌ててフィンをもう一度はめて、ステップに近づく。そしてステップを掴んでから、フィンを外した。

ボートの上では、スタッフが脱いだ重りやBCD、フィンをとってくれる。そしてステップに足をかけてボートに上った。その後に、他のダイバーが次々と上がってくる。全員が上がったところで、ボートを島につけた。

浜辺でサンドイッチを食べた後、島を歩いた。
バリカサグ島は周囲2kmぐらいの小さな島である。
おそらく漁業で生活している島民が30世帯ぐらいいると思われる。島を歩いていくと中心部に小学校があった。1998年頃に主として日本人が寄贈してつくられた小学校のようだ。私が前に来たときは小学校はなかった。

小学校の校庭の壁には、その寄付をした団体名と人の名前が一人一人彫られたいた。
80%以上、日本人の名前だった。こういうところに寄付するのはとてもうれしい。

残念ながら、政府経営のホテルへは時間が足りなくて行けなかった。12年前は、確かに政府経営のホテルがあってそこでコーヒーを飲んだ。場所が場所だけに、アロナビーチの3倍ほどの料金を取られたのはびっくりした。ちなみに島でコーラーを飲むと、冷蔵庫がないのでぬるい上に、倍の料金がした覚えがある。

バリカサグ島はそれでもとても美しい島で、アロナビーチの白いビーチよりもさらに美しい。住人は住んでいるしダイバーは毎日のように来るが、それでも住人とダイバーの数は知れている。浜辺は、珊瑚の細かな破片が落ちていて、椰子の実がいくつかある他は夢の中で見る南の島のようだ。だけど現実をみると、ときおり訪ねるにはよいところだが、住むのはとても大変だろうと思う。飲み水は雨からとるしかない。産業は年々減っていく魚を獲ること、あとはダイバーに市場で買ったお土産を高く売りつけるぐらいしかない。

13時に島を出る。娘が珊瑚の破片を拾ったが、日本人ダイバー(ガイド?)に国立公園だから持ち出してはいけないよとたしなめられた。ボートは少し動かして、そこでダイビングする。ここのドロップオフは午前中と同じような景色だが、ナポレオンや海亀、バラクーダーなどの大物をみることができた。潜っている最中に気持ち悪くなって、吐いてしまった。水深20mのところで、レギュレーターを外して吐こうとしたが、タイミングが悪く、レギュレータを少しつけたままで吐いてしまった。一瞬、レギュレーターが詰まってしまったが、何度かレギュレーターのノズルのところを押すと、空気が噴出してなんとか乗り切った。水深20mのところなので、一瞬焦った。少し塩水を飲んでしまったがなんとかなった。

頭痛が続き、バディのフィリップが水中写真に夢中になり、一瞬他の人たちと離れてしまった。それもなんとかなった。かつて、エアーが足りなくなったのをバディに無視されたり、水中の流れに流されたり、まあいろいろなことを経験しているのでたいていのことは大丈夫。あとは水中鍾乳洞から出られなくなることだけを心配している。

1時間近くたって、また水深5mのところで5分休憩するのだけど、BCDにエアが残っていて上に上がりそうになって焦った。急いで水中へ沈もうとして四苦八苦した。もう一度ダイビングすれば完璧に勘は戻ると思うけど、どうだろうか。

潜っている間は、ボートの上にいる人たちは本当に暇だと思う。1時間ぐらい何もせずに、ダイバーが上がってくるのを待つだけだからだ。妻と子どもたちは、その1時間の間にボートの周りの紐を掴んで少し泳いだみたいだ。とはいっても、ほとんど泳げないし、水深10mぐらいのところなので、気の毒だ。やはり連れてこない方が良かったかな。

そして、ボートはアロナビーチへ戻る。
1時間ほどでビーチに戻った。岸はすっかり潮が引いていて、ボートを寄せるのに苦労していた。ビーチからやや遠いところで、ボートを降りてみると、水面が腰のところまであった。私は荷物を頭の上に載せて歩いた。サンダルで歩いているが、ウニがところどころあり、注意して歩かないとサンダルを串刺しして足にささる。ウニの針は、意外と柔らかいので奥まで刺さることはないようだが、先端が皮膚の中に残ることがある。

22歳のとき、タイのピピ島でスキンダイビングをしたとき、泳いでいて珊瑚の上に手をかけようとしたとき、腕を動かした。その腕の動く先に、ウニがいた。ウニの針10数本ぐらいが私の腕を刺した。針を手で抜くと、針の先端が残った。白い肌の中に、黒いものがいくつか残ったのである。なんとなく不恰好でヒリヒリとする。あとである店の女性に相談すると、レモンを持ってきてくれて、それを塗ってくれた。少し年上の女性であるが、なんとも頼もしかった。

息子はダイブマスターが運んでくれたようである。娘をビーチまでいっしょに歩き、ボートに戻って妻といっしょに歩き、おばさんは自力でビーチまで歩いた。そのあと、フィリピン人だけが荷物を運んでいたが気の毒になって、私もタンクや荷物を運んだ。4往復ぐらいしたかな。そして、自分が借りたウェットスーツや、BCD、フィン、マスク、レギュレーターなどを水洗いする。

水洗いするとき、レギュレータのふたをするのを忘れそうになった。そうだ、ふたをしないと空気がとおるパイプに水が入ってしまい、そして錆びてしまう。レギュレーターのパイプには水が一切入らないような仕組みになっている。

ダイブマスターが「明日はダイブするか?」と尋ねた。「家族がいるから…できないよ。」と答えた。家族が飽きているのもあるが、やはりダイビングに対して魅力がなくなったというのが本音だ。ツアーダイブでいろいろ美しいところへボートで行けるのならいいのだが、家族を置いていくわけにはいかない。娘と息子が20歳ぐらいになって、いっしょにいけるようになるといいんだけど。

ダイビング後は、娘とホテルのプールに入った。塩水に浸かった身体と水着を、真水で洗うこともできるし、何より気持ちよい。娘も息子も、真水のプールの方がずっと気持ちがいいようだ。娘に平泳ぎを教えてあげたら、とても喜んでくれた。

夕方ビーチを散歩する。海から風が吹いてきて気持ちが良い。遠浅の白浜と波と海風、そして浜に打ち上げているボート、夕日と雲、こういった雰囲気が、とても価値があるのだろう。これだけで「生きている」という実感が湧く。私にとっては100万ドルの夜景よりも、ずっと価値のあるものに思える。2日間こういう散歩ができてよかった。

夕食は昨夜と同じく、Alona Kewのレストランで食事をした。通りからアロナビーチに入るとすぐにこのレストランをみることができる。直径10mぐらいの大きな円形なのでとても目立つ。夜はバンドが歌を歌っているときもある。昨夜は歌を注文したが、とても20年前、30年前の古い歌しか知らないようだった。50を過ぎているおじさんたちがギターを持って歌っているから、そんなものかな。

このレストランで12年前に妻は働いていたが、そのときとチーフコックは変わっていない。とてもおいしいと思う。昨夜は「チキンベジタブルスープ」、「チョップスエイ(野菜炒め)」、「スイートサワーポーク」、「エビを揚げたもの」を頼んだが、どれもおいしかった。今夜は少し量を減らして、子どもが食べれそうな「スイートコーンスープ」「シーフード&ミックスベジタブル」「ラプラプという魚のホワイトソースかけ」を選ぶ。あんまり子どものことを考慮すると、辛いものを選べず味が限定されるから考えものだな。子連れだと本当に難しい。フィリピンでも、デニーズなどの子連れが連れて行けるレストランがあればよいと思うな。

でもおいしかったです。
そして、ダイビング2本と高いホテルの短い時間だったけれど、新しい思い出が作れました。

ホテルのビーチのところに、アンブレラ(円形の小さな屋根で休憩する椅子がある)が12年前にあったのですが、なくなっていました。そこで妻と夜にいろいろお話をしたのですが、思い出が一つ消えてしまいましたが。

Written by in: 楽天日記 | タグ: ,

コメントはまだありません »


コメント&トラックバック




トラックバック URL

コメントのRSS feed