7月
22
2005

「食べていく」ということ

この数ヶ月「食べて行かなくちゃいけない」という言葉をよく耳にする。いろい
ろな会合で人が話すときにこのフレーズが耳にひっかかり、テレビなどでも気に
なっている。

認知心理学的には、自分にとって関心のある情報を選んで取り込んでいるそう
だ。自分が気になる情報だけを無意識的に選別して、それ以外のものを切り捨て
ているといわれる。

たぶん、私がこの言葉をよく聞くと思うのは、そんな選別をしているからであ
り、自分がそういう環境によく接しているのではないかとも思う。

これは、仕事を辞めて独立するかどうかのときに、「起業の学校」というのに参
加して、「起業の学校」自身がコミュニティビジネスの起業を支援する組織でも
あり、それに関わる人たちがNPO関連の人が多かったことからも由来する。

その中で、「食べていける」という言葉を良く耳にした。

「食べていく」ということは、もちろん「生きていく」ということで、もっと言
えば「頼らずに生きていく、生活の糧を得ていく」ということである。

NPO活動は「食べていく」のが非常に大変であるということの裏返しでもあるか
もしれない。

NPOについては名前以外のことは知らなかったので、NPO活動しているたくさんの
人から話を聞いた。もともとは地方自治体が行う福祉活動を、民間の創意工夫で
行うという主旨が強い。

なぜ地方自治体ができないかといえば、自治体の活動は広くあまねく平等に奉仕
するということが基本で、特定の人や対象に力を注ぎ込みすぎることはできない
ようである。また地方自治体のもつ組織自体が硬直化しており、細やかな活動を
行うことは難しいようである。

とはいっても、NPOは無償のボランティアのみから成り立つわけではなく、職員
はそこから報酬を得ていることが多い。これがつまり「食べていく」ということ
のようである。NGOやNPOは、無償のボランティア組織であり、その活動費は寄付
によるものと思っていたが、誤解があった。

経費だけでなく、働いた人の報酬が必要なのである。
そして、NPOではNPO活動で生計を立てている人が増えつつある。

では、NPO活動の財源はどうするのか?
税金か、寄付か、それとも普通の会社と同じような経済活動か?
前者2つは年々厳しい状況にあり、やはり経済活動しか残っていないそうである。

私も不惑の歳になって、少しは社会貢献をしたいという気持ちになった。
この歳になって、自分の生きた証を残すため、そして社会への恩返しのためにな
んらかのことをしたいと思った。しかし、子どもの教育費のことなどを考えると
NPOから得る報酬では厳しいと思った。また自分がやりたいことは、NPO活動とは
いえないことも自覚した。

そのため、今日NPOの代表の方と会ってそのことを伝えた。
この2ヶ月ぐらいの間、いろいろお話をさせていただいた方である。
少し残念ではあるが、距離をおいてお付き合いしたいということになった。

たぶん近い将来、またつながるかもしれないと思う。
ただ彼に頼るのは双方とも辛い気がすると思う。
私が順調に回りだしたら、対等の立場でビジネスの話ができたらいいなと思う。

では話を戻して、「食べていく」とはなんだろう?
そんなに大変なこと?
どんな状況におかれても、3度の飯は食えるし、寝る場所もどこでもいいし、贅
沢はしなければ妻と子ども2人なんとかなるのではと思う。

いざとなればアルバイトをすれば、それもコンビニで夜働けば時給1000円近くい
く。一月で20万はなんとかなるのではと思う。

ところが、ふと考えた。
それに耐え切れるだろうか?
歳をとって体力の問題もある。しかし毎回かわりばえのない職場で仕事を続ける
ことは自分が一番嫌なことではないだろうか?工場での仕事や毎日ルーチンワー
クの仕事は、性格上耐え切れない。

とすると、できる仕事の範囲は狭くなる。

話は変わって、妻の実家のフィリピンの田舎では一ヶ月働いても日本円で五千円
ほどである、フィリピンでもそれだけの収入は厳しく2つの仕事をかけもちした
り、副業をしたり、厳しい。

たぶん、日本のデフレは今の水準で収束するのではなくて、もっと落ちていくの
ではないかという気がする。それは世界が二極化しているからでもあり、ボー
ダーレス化しているし、政府も貧者を支援しきれないからである。

アメリカを始めどの国でも、政府レベルでは救いきれないと考えている節があ
る。貧者を救うのは誰かがカネを出すことであるが、結局世界中がそうなると自
分の国だけ助けようということができなくなる。社会福祉国家である、北欧やイ
ギリスは医療費は無料であったが、そうすると世界中から貧者がなだれ込みそれ
にすがるようになる。だんだんとそれは増え、そういったサービスができなくなる。

ではどうするか?

国の中の国をつくってしまうのである。
中央政府に福祉をゆだねずに、地方政府にゆだねる。
お金持ちが住む街に自分たちのための警察を用意して治安を守り、道をよくした
り、公共施設を整える。自分たちが払う税金は自分たちのために使うという考え
方だ。

実際にアメリカの高級住宅地は治安が良いそうだ。フィリピンは、ビレッジとい
う名前でそのような地域を作っている。他の国も同様だと思う。日本ぐらいがま
だその域に達していないが、やがてそうなるかもしれない。

フィリピンの大学を出て英語が一応しゃべれる人が五千円の月給で、日本で教育
に関係なく1日五千円の収入がある。その差はなんだろうか?(フィリピンでは
高卒ではろくな仕事はなく、大卒でやっと臨時の仕事が見つかる。それ以上の職
場を目指すのは、能力とコネが必要。)
言葉の問題?地域の問題?社会慣習?それで数十倍の差を持たせる、いや仕事の
内容からすると同じ仕事で100倍の差がある。

これは、だんだんと差が縮まりつつあるのではないだろうか?そして10倍くらい
の差に落ち着くのではと思う。そうすると日本での最低賃金が1日千円。フィリ
ピンでは月額1万円くらい。

そうなったら、「食べていく」ということが本当に重要な意味をもつだろう。

Written by in: 楽天日記 | タグ:

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