4月
20
2005

走馬灯の記憶

東京に来ると、なぜか元気になれる。

名古屋や知多にいると元気ではないかというと、そうでもないのだが。東京には
良い気があるのか?東京にきてたくさんの良い人と会えたからだろうか。それと
も、いろいろな支援を得られるからかもしれない。

午前中からお昼にかけて、前職の社長を始めいろいろな人とあう。
みんな元気そうだ。安心。

元気なところ見るのはうれしいが、自分が辞めた後も元気されているのは正直少
し寂しい。退職後も、相談に乗ることでいくらかサポート費をいただけるという
ことが現実となって、本日請求書を手渡した。無職の私には一万円、二万円とい
うお金がとてもうれしい。

サラリーマンを辞めてから、お金をいただけることは実感としてとてもありがた
く思えるようになった。サラリーマンでは、給料などはもらって当たり前という
ところがあったが、結果を出しても必ずしももらえるとは限らないのが世の中と
いうことをだんだんと身に沁みている。もっとも努力はしている最中であるが、
まだ何も結果も出していないのが恥ずかしい。

夕刻、アンダーセン(現アクセンチュア)時代に上司だった人と会う。10年以上
も前にお世話になった人だ。彼が退職したという話を聞いて連絡を取り、今回会
うことができた。当時は私が引き起こすトラブルや退職(休職)も含めてお世話に
なった。私の人生はそれから不器用に行き当たりばったりだが、彼は出世をして
きちんと責任を果たしていたようだ。心から尊敬する。

すごく優秀な人で責任感があるが物腰は柔らかい。私には手の届かない人だっ
た。最後はパートナー(取締役相当)まで勤めて退職されたようだ。どうして辞
めたのかと尋ねたら、彼のような優秀な人でも組織では思うようにいかないこと
があるらしい。彼は、アクセンチュアの組織よりももっと柔軟なプロジェクト
ネットワークを作りたいということだった。それを全国組織にできればいいなと
言っていた。

アクセンチュアは昔と違って、彼が所属していた(私も所属した)技術畑のグ
ループがなくなっていた。技術畑はプロジェクト管理などへ変わり、他のコンサ
ルティング会社と同じように戦略的やERPを主とするコンサルティング会社へ変
わっていたようだ。でも最近、振り子が戻るように、技術的な組織も再編しだし
たということだった。

社会科学的な戦略、人事、組織分野が煮詰まってきて、技術的な新しいネタのよ
うなものが必要なのかもしれない。

彼はもし可能ならば全国的に組織化してやってきたいというので、とりあえず名
古屋地方でお手伝いしますといって名乗り出ておきました。私なんかでいいのか
な?でも10年ぐらい経っても、人間というのは何も変わらないのねと、つくづく
思う。

なぜか彼と話していると、10年以上前のアンダーセンのときの記憶がぶりかえっ
てきた。そのときの状況だけでなく、考えていたこと、感情も思い出してきた。
今のような自分だったら、アンダーセンでのいろいろな難題もなんとかこなせた
だろうなぁ。部下に的確な指示を出して、人間どおしの付き合いもできただろう
な。ただ激務には体力的についていけないかもしれない。あは(~o~)、あのとき
は精一杯に生きていたんだろうなと思う。

なぜ私は15年前に大学院進学せずにアンダーセンへ入社したか、そしてなぜ辞め
たかということも思い出した。

アンダーセンに入社したのは、ビジネスとしてAI(エキスパートシステム)を取
り組みたかったからだ。大学院の研究ではAIは地味なので嫌悪感を覚え、華やか
なビジネスの世界でもまれた研究をしたかった。日々の仕事の中で、いつしかそ
の目的は実現するのが遠ざかり、それを無理に目標としてぐちゃぐちゃになっ
た。仕事のプレッシャーを感じ、女性関係で悩み、人生の目的をさまよい、だん
だんとそういう気持ちは忘れていった。AIという言葉だけが有名無実化して、日
々の生活に飲まれていった。

そこには、自分に与えられた時間や能力や資金を考えずに、ドンキホーテのよう
に立ち向かって、水泡に帰している自分がいた。

未だ夢を追っているのか、いかんこんなことを考えるようでは、夜行バスの疲れ
が出ているようだ。時は前には戻らない。

Written by in: 楽天日記 |

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