3月
21
2005

【本】続・年収300万円時代を生き抜く経済学

続・年収300万円時代を生き抜く経済学
続・年収300万
著者 森永卓郎
光文社刊
ISBN4-334-97417-1
1,400円+税

実は続編となる前の「年収300万円時代を生き抜く経済学」は、まだ読んでいない。続編は、前編の実践編となっており具体的にいろいろ書いてある。
図書館で目にしたので、借りて読んでみた。

まず、これからの日本はアメリカ型資本主義の外圧をうけて、本来の資本主義社会に向かっていく。これまで日本の実体は、社会主義に近く国民が平等の近い社会であった。金持ちからは税金を高くとり、貧乏な人には援助をする。大企業から自営業まで、どんな産業でどんな仕事をしても収入の格差は少ない社会であった。

その中心性向が緩くなり、所得の分布は広がっていく。
さらにいえば、アメリカやヨーロッパの先進諸国のような数パーセントのお金持ちの層に一つの中心と、年収300万円ぐらいの所得層に中心がそれぞれできる。

この現実をみて、我々は予算管理とリスク管理をしていく必要がある。
予算管理は、人生のタイミングでいつどれだけのお金が必要になるかということを見極めていくこと、リスク管理は人生に何が起こるかわからないのでそのリスクに対応できる準備をしていくことである。

自分の収入の範囲内で暮らして決して無理なことをしない。日本人の所得は世界で一番高いレベルにある。先日大阪市公務員のバスの運転手の収入最高額が1400万と聞いてびっくりした。世界でこんなに所得の高いバスの運転手はいない。

その人の能力や貢献度だけをみると、公務員の給料は高くなる一方だ。しかし資本主義の視点でバスの採算性をみれば、こんなに高い給料をもらえる筈がない。多くの市町村でバスの経営は赤字であり、公共性の点から赤字を税金で補完しているからだ。

公務員に限らない。大企業の社員も貢献度という点からみて、ほとんど実績をあげていない社員が高給をとっている。フジテレビの社員だけでなく既得権益を得た事業者の社員は、しくみがうまく回り始めると競争がないので、会社としても利益を生みつづけるし、社員もその恩恵にあずかることができる。もしテレビ局をつくるのが認可事業でなく、自由につくってもよいということになれば、そうはいかなくなるだろう。例えば毎年周波数をオークションで売るなどすれば、国としても儲かり税金を少し減らすことができるかもしれない。

市町村も競争させて、公務員もリストラありとすれば、世の中少しは変わるかもしれない。引越しが本当に自由になれば、経営のうまい市町村は富み、経営のへたな市町村はつぶれていくというのもいいかもしれない。もちろん引越しはそう簡単ではなく、一度住んだところに愛着があるので、簡単にはいかない。その辺りのバランスが大事であろう。

話が横道にそれてしまったが、収入に応じた生活、モノに依存しない生活をすればよい。お金に拘らず本当に自分がやりたいこと実践していくことが人生だといっている。そして突然死んでしまったりしてもいいように、金利が高くなってもいいような
準備をしたほうが、突然の危機に振り回される

巻末で、森本氏が「金持ち父さん貧乏父さん」のロバート・キヨサキ氏と対談して、意気投合したという話が載っていた。この2人が意気投合するとは不思議だが、根のところではつながっている。「ラットレースに巻き込まれるな」という意見が一致している。ラットレースとは、はつかねずみをペットとして飼うと、からからとねずみが同じところを走る車を用意することあある。ねずみを飼う小屋は小さいので、ねずみはその車をからからと喜んで走る。まさにラットレースに巻き込まれるというのは、同じところをがむしゃらに走っている我々のことを言っている。ラットレースに巻き込まれているだけでは、自分本来の生き方はできない。ラットレースから1日も早く出ることが肝腎である。

ロバート・キヨサキ氏が発案した「キャッシュフロー101」ゲームをすると、それを体験できる。ただ世間ではお金持ちになれば、それでラットレースが抜けられるという誤った考えがはびこっている。ゲームでは、”不労所得>支出”という関係を築ければラットレースから抜けることができると定義される。

不労所得は、がむしゃらに働かなくても入ってくるお金。世間では働かなくても得る収入とされるが、それは真実ではない。頭と知恵で投資や不動産運営を行ったりしないと、所得を得ることができない。

また支出というのも重要だ。このゲームでは医者や弁護士などの専門職といわれる高収入の人たちは、ラットレースから抜けることは難しい。低所得者の人ほどゲームから出やすい。ゲームはいささか極端なところもあるが、参考になるところもある。

医者や弁護士は高収入だが、世間体から、高い外車を乗ったり派手な生活をおくる傾向がある。それは、仕事のために生活レベルをあげておかないと、良い顧客がもてないという理由もあるかもしれない。ただその生活レベルから抜け出せなくなるとすると、いつまでたっても働いた分だけ所得を得るということから抜け出せない。いつまでも働きつづけなくはならないという考えに陥る。
もし生活レベルを落として庶民の生活をすれば、すぐに貯金や投資に回すことができて、すぐにラットレースを抜ける可能性がある。

上級公務員や大会社のサラリーマンも同じであろう。

一方、低所得者層も無理のない生活をすれば、ラットレースから抜ける可能性がある。ミエを張らずお金をつかわない生活をすれば、”不労所得>支出”ということも可能性がある。そうすれば、所得に依存しない自分本来の生活ができる。
ある意味、低所得者層の方が支出が少ない分だけ、何か所得の道が見つかれば、ラットレースから抜け出る可能性が高い。

この本に戻るが、東京から大分へIターンをして農業を始めた人や、新白河から新幹線通勤を始めた人、地方公務員を辞めて萱葺職人の道へ進んだ45歳の人が紹介されている。

それらの道を歩むのは簡単ではないが、不可能ではない。やろうと思えばやれるのだ。収入は落ちるが、餓死せずになんとか生きていけるものだと思う。
「1回だけの人生、自分のやりたいことやらなきゃ損だよ」という声が、この本からは聞こえてきた気がする。

Written by in: 楽天日記 |

コメントはまだありません »


コメント&トラックバック




トラックバック URL

コメントのRSS feed