3月
07
2005

父が救急車で病院へ

今朝9時過ぎに、母から電話があった。
「お父さんが倒れた、すぐに来て。」

車で5分ぐらいのところに住んでいるので、身の回りの準備をしてすぐに出かけた。実家に着く頃には救急車のサイレンの音が遠くから聞こえていた。着いて2階に駆け上がると、母と父がいた。父は床にのびていた。

私は母に尋ねた。
「どうしたの?」
「ワープロ打っている最中に、ひっくり返ったみたい。9時に出かけるので、下から『おーい』と呼んでも返事がない。それで階段を上がってみると、折りたたみ椅子を身体の上にのせて、横になっていた。口から涎が出ていた。」

すぐに、救急隊員があがってきた。
「どうされたんですか?」
母が私にした答えを、同じように答えた。

4人の救急隊員が、父の周りを取り囲んだ。
一人は指にクリップをはさんで、血圧を測ろうとしている。一人は父の身体を抑えている。一人は父の瞳孔反射を確認している。そして一人は、母に状況を質問している。

すると父がぬくっと起き上がり、指からクリップを外そうとする。しかし、質問をしても返事がない。無意識に起きている状態だ。

毛布と保険証を用意するように言われて、準備した。
毛布は担架の上に置かれ、父の身体を巻く。そして救急車まで父を担架で運び、母も同乗した。私はいったん自宅へ戻って、母の電話を待つことになった。

父は13年前に交通事故を起こしている。車で帰宅途中に交差点を青で通過するところを、無保険の車が信号無視で交差点に入ってきて横からぶつけられた。そのとき脳挫傷を起こして、しばらく集中治療室にいた。生還したものの、事故前の元気で活動的な姿は失せて、性格も変わってしまった。

日常生活はこなすものの、おだやかになって少しボケた感じだ。医者からはこのまま緩やかに老人性痴呆症へ移行するでしょうと言われた。

それも外因となって、新卒で入った東京の会社を辞めて愛知県に戻った。

母からの電話が12時すぎにあった。CTスキャンの検査もしたが、特に脳に異常はないとのことだった。足がないので迎えにきて欲しいということだった。
自宅からその病院まで30分ぐらいかかるのだが、脳外科専門病院は近くにはそこしかない。

病院まで車で行くと、点滴などでさらに時間がかかるようだった。

私は小さい頃は、母親似といわれたが、成長するにしたがって父親似といわれる。性格は似ているところは少ないが、気付いていないところで似ているかもしれない。

父は貧乏な家に生まれ育った長男だった。小学校・中学校とも、家庭の手伝いをして、ほとんど学校へ行っていない。だけど勉強が好きだったので、親の目を盗んで自分で学んでいたという。

だけど運よく一部上場の大企業に入社できた。会社にて高校課程に相当するものを学んでいた。父が入社した頃、東大卒でも人気のある会社だったので、当然大卒はたくさんいた。そうなると、父は出世の道は諦めるしかない。

私に似た技術タイプなので、世渡りは下手、人に合わせるのも下手で、おまけに学歴はない。もし生まれ育った家庭が多少ましであれば、工業高校卒、もうちょっと裕福であれば、私と同じような大学へ行っていたかもしれない。

いろいろな鬱積を持ちながらも、定年間近に交通事故に遭い、彼なりの人生を全うした人だった。

私は小さい頃から、その鬱積を感じていたのかもしれない。それで大学を卒業していながらも、自由な考えをもっているかもしれない。

とりあえず、父と母は自宅に帰ってきた。
少しでも幸せに生き長らえてもらいたい。

※救急隊員の方、ありがとうございました。日夜の救助活動を感謝します。

Written by in: 楽天日記 |

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