1月
13
2005

理系と文系

1/11に青色発光ダイオードを発明した中村さんが会社に対して特許に関す
る報酬要求起こしていた高裁裁判で、和解に応じた。

1/12に中村さんの記者会見を見た。
「裁判には納得していない。こちらが提出した証拠のための技術文書をろ
くに読んでもらっていない裁判官では、裁判にならない。日本の裁判制度
が問題だ。こんな腐りきった日本では技術者には良くない。外国へ行こう。
同じような裁判を起こす可能性のある技術者にあとは任せた。」というよ
うな主旨のことを言っていたと思う。

この後、中村さんに対して技術者から「なぜ和解に応じたのだ」というメー
ルがたくさん届いたのだという。

極端にいうと、文型出身者の管理職はほっと一安心し、理系出身の研究者
・技術者はとまどいを覚えているのではないだろうか。8億円という金額
は大きいが、果たしてそれに見合う金額なのか。夕刊紙には大魔人佐々木
投手の年俸と同じだとかかれている。そう思うと、少ないのかなぁ。でも
定年までもらえる報酬はせいぜい2億円ぐらいだし、一軒家や億ションも
即金で買えるしなぁと思うのではないだろうか。私もそんな気持ちである。

ちょっと余談だが、
私も理系出身だが研究者になれず挫折した口である(数学は文系ではない
かと物理学者から言われるが)。私が大学を卒業してアンダーセンコンサ
ルティング(現アクセンチュア)に入社したときは、あまりの世界の違い
に戸惑った。口下手で現実世界を向いている人の少ない(数学者のみなさ
んごめんなさい)数学の世界に席を置いていたので、人間関係が巧みで弁
がたち英語もぺらぺらという人たちには劣等感を感じていた。
その中で生き残っていくには、「AIベースの技術コンサルタント」になる
しかないと思い込んでいた。実際に与えられた仕事は、今になれば新人に
はよい仕事だと思うが、当時は大きなシステム開発のいわば自分にとって
はどうでも良い仕事だった。現実と理想のギャップに迷いながら、「石の
上にも3年」と念仏を唱えつづけ、最後はもう一度研究者になる道を選ん
で、大学院に入りなおした。

その後いろいろあって、今はフリーのITなんでも屋(ITコンサルタント兼
プログラマー兼SE)になろうとしているが、前職で取締役を務めて経営に
ついて勉強したし、いろいろな業種の業務もなんとなくわかる(怪しいも
のだが)。
その点で、世の中をうまくわたれない(すべてそうではないが)理系出身
者になんらかの支えを与えることができると、もっと日本も会社もハッピー
になれるのではと思う。

最近スポーツの世界では、若年層からいろいろな支援をするような動きが
出てきた。理系研究者も同じ。数学や理論物理学など理論系の科学はピー
クが20代、可能性は10代前半でおつ舎の学校だったからできたので、都会の私立なんかではこうは行かな
いと思うが)
高校生ながらにサイエンスやbitなどの準専門誌を読んで、ほぼ理解して
いた。でも今は、Software Designなどの雑誌を読むのはだんだん辛くな
ってくる。日経新聞の経済記事や証券ニュースなどの方が楽になってきて
いる。

興味の分野が移りつつあるのか、それともどんどん常識の変わるコンピュー
ター業界にいるのが辛いのがわからない。

本当は研究者になりたかったのになれなかった私のような人間をつくらな
いためにも、理系研究者・理系技術者にもうちょっと援助を差し伸べてく
れないだろうか。

思い込みがあるので、気に障ったところがあったらごめんなさい。

中村正三郎のホットコーナーを参考にしています。
http://www.asahi-net.or.jp/~KI4S-NKMR/

Written by in: 楽天日記 |

コメントはまだありません »


コメント&トラックバック




トラックバック URL

コメントのRSS feed