1月
07
2005

セミリタイアのような生活

私の勤めている会社は東京にあり、自宅は愛知県にある。

最初の3年は、火曜日の朝一番に名古屋からひかり(後にのぞみ)に乗っ
て出勤して、会社で3泊して、金曜日の5時前に東京を発ち自宅に帰る。
そして、金・土・日は自宅で家族と過ごすという生活をしていた。
自宅に帰っても仕事をしたり、勉強したりということをしていた。

子どもがだんだんと成長して、息子が4歳ぐらいになってものごころつい
たときに、私を週末だけくるおじさんのように思っていた。というのは、
私に全然なつこうとしないのだ。そのうち、仕事ばっかりして、妻や子ど
もとすごさないことで、妻と7歳の娘がストレスを感じて爆発した。

それは日常のいらいらというものではなく、きちんと見えた。最初に娘は
その感情をガラスを蹴っ飛ばして割るということにでた。マンションの窓
ガラスは頑丈にできている。実はここは10歳から住んでいたマンションで、
両親が新居を買ったときに譲ってもらったものだ。10歳から30年近く、一
枚も割ったことがないガラスである。
そして、しばらくして女房と言い争いになって、風呂場のガラスを割った。
こちらも特注仕様のガラスである。

ちょうどその頃、私が勤めている会社は存亡の危機にあった。リストラし
て大幅に人数を削減して、最低限のメンバーでなんとか生き残ろうとして
いた。そのため毎週帰宅せずに、2週間連続で会社に泊まったりして、家
庭を顧みない生活をしていた。
とはいっても、忙しいサラリーマンのように、早朝から深夜まで勤めてい
て、土日は接待ゴルフというわけでもない。自宅にいるときはそばにいる。

でも、妻は家庭に安らぐタイプで、できるだけ家族と時間を分かち合いと
思っている。私も同じだが、仕事に重心を移していた。

これは家庭崩壊の危機と感じて、会社を1週間休んだ。会社の存亡の危機
でもあったが、止むを得ない。それから会社はなんとか持ちこなした。

そしてこの1年、会社へ行く時間を減らした。
当初は1週間おきに東京へ出ることにしたが、他の社員との連絡がうまく
とれず苦労した。また自宅で仕事をするには集中力が欠ける。
そして、毎週だけど1日減らして、火曜日から木曜日までのスケジュール
にした。こうすると、家族との時間の方が東京にいるよりも長くなった。

実は会社の方針を巡って社長と意見が合わなくなり、また東京と愛知を往
復する生活も長く続かないとおもっており、社長には1年前に退職して委
託契約にして欲しいと願い出ていた。ただ社長が渋り、この状態で構わな
いということで、1年間続けてきた。

実際に1年間過ごしてきて、システム受託のようにきちんと仕様が確定し
なくて、発注から納品まで期日が短く変更が多いこのような仕事は
無理であった。頻繁にお客さまや他の社員とやりとりをしないと、情報の
ずれが出てくる。メールやチャット、ときにはテレビ電話でやろうともし
たが、相手が対応しないと無理であった。
何かあれば、すぐに携帯で連絡する営業マンとのやりとりは厳しかった。

何をするか、どんなことができるか、まだわからない。そして辛い日々も
待っていると思う。このセミリタイアのような生活も終わるかもしれない。
この日記は、あたらしいお客さんになってくれた人が、私がどんな人間で
あるかということを良いところ悪いところも隠さずに伝える意味もこめて、
書いている。

イラクで亡くなったジャーナリスト 橋田信介さんの言葉を噛みしめてい
きたい。

「ときどき楽しいことがあるから、生き続けよう。」

Written by in: 楽天日記 | タグ:

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