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フィリピンからは悪いニュースだけ

2009 年 8 月 16 日 コメント 1 件

みなさまお盆はどのようにすごされたでしょうか?

自宅で家族と一緒に、映画を見たり、食事を一緒にとってすごしました。
何気ない日常の生活が一番です。
映画は、レンタルビデオを借りてきて、「ホリディ」というラブストーリーと「アポカリプト」というマヤ文明を扱ったものを見ました。どちらもよかった。
「アポカリプト」の主人公の奥さんが妊娠中で子どもを守るのですが、妻と気が強くしっかりしているところが似ていました。主人公のかっこよさは私とはまったく違うんですけれど。タトゥーや装飾品を体につけていて、生活は全然違うんだけれど、私たちの先祖はあのような生活をして、同じ幸福と苦難を味わっていたんだろうと思います。

さてこの時期は妻の親戚にとっていろいろな行事があります。
1945年8月15日は、妻のお母さんの誕生日。終戦記念日ですが、フィリピンが日本から開放されたのは少し前なので、フィリピンでは特に重要な日ではありません。

妻のお父さんは、10年ほど前の8月7日に亡くなりましたので、10周忌になります。
妻のおじさん(お父さんのお兄さん)も、たしか8月11日頃に4年ほど前に殺されました。
近所の頭がおかしくなった人にナタで殺されました。その人も刑務所に入った後で自殺したそうです。
(フィリピンでは殺人の話やセックスの話が多いので、やはりラテン系なのかなと思います)

妻の地域では、1周忌、2周忌と亡くなってから10年くらいまでの行事があるそうです。

それがカトリックのものなのか土着系のものかはわかりませんが、カトリックの神父さんか代理の人がお祈りをささげる行事になります。

妻のおじさんはずっと独身を通してきまして、妻の両親の家族と一緒に住んでいました。
そのおじさんの遺産はわずかなのですが、日本にいる妻だけがその話を知らないようすです。
フィリピンにいるいとことチャットをしていたところ、「おじさんの遺産は分配したようだよ。平等にいくらぐらいで分配したよ。」ということを言いました。それまで兄弟やお母さんなどとチャットや携帯で話していますが、誰もその話をせずに、妻だけが蚊帳の外におかれたようです。

まあわずかですから財産放棄してもいいのですが、一言も話がないということについて怒っているようす。

フィリピンからは、お金の無心の話はしょっちゅうあります。学校の試験に払うお金がないとか、パソコンを買いたいとか、バイクを買いたいとか、、、、でも、よい話はまったくいいません。

もう私はフィリピンからの話はうんざりで距離を置いているのですが、妻は兄弟や親戚なので、、、
「フィリピンからは悪いニュースだけ」といいつつ、毎日いとこや知人とYahoo MessengerやSkypeでチャットをしています。

娘や息子は言葉もわからないし、自分は普通の日本人だと思っています。
(日本以外で生活していないからね)

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カテゴリー: フィリピン, 家族 タグ: ,

イランのPeople’s Power

2009 年 6 月 20 日 コメント 2 件

イランでは、大統領選挙が不正であると訴えて、国を2分したデモに発展している。

死傷者は50人以上でているそうですね。


http://news.bbc.co.uk/2/hi/in_depth/middle_east/2009/iran/default.stm



妻とテレビを見ていて、1986年のフィリピンでのマルコスの不正選挙と重なるねと言っていた。あのときのフィリピンも、マルコスの独裁政権だったけれど、人々はコラソンアキノの象徴の黄色いハンカチなどをつけて、デモをして立ち向かった。

結果として、流血騒ぎにならずクーデーターは成功したけれど、当時の人々は殺されるかもしれないと思いながらも立ち上がった。


また古い話になるけれど、1987年にイランを10日間だけ通過した。パキスタン国境から入り、トルコへ行くために。ちょうど、イラン・イラク戦争中だったので国内は戦争の立て看板が立っており、静かだが異様なムードだった。

バスに乗ると、運転手がマイクを使って1分ぐらい話す。その後、乗客がみんなで「おぉおぉ」と大きな声で答えるような感じだ。「エイエイオー」のような掛け声のような気がして、戦争を鼓舞しているのかなと思った。ペルシャ語はわからないから。

イラン人とは言葉ができないし、ガイドブックも皆無だったので、ホテル探しも何をするのも苦労した。銀行すらわからない。また戦争中であることと、秘密警察が多いということもあって、危険な感じがしたので早く去りたかった。たった10日間であった。


バスは日本の高速バスのように横3席のみで、高速道路も充実していて快適だった。隣国のパキスタン・トルコ・シリアと比べても豊かだった。

国内はバスで移動したのだが、バス会社がNo.1, No.2という名前でNo.16まであった。地名をつけた会社名ではなく、番号で呼ばれていたのは利便性なのか、それとも国営企業だったからであろうか?それがわからない。


イランは世界でもインターネットが発達しているほうの国だそうである。

もともとブロガーの数が世界第4位であるらしく、文学が古代より発達していた国だからであろうか。詩はイスラム文学で有名であるが、日本では知られていない。


Googleの翻訳ページにペルシァ語が追加された。日本の翻訳ページでは選べないが英語ページから行ける。

http://translate.google.com/translate_t?hl=en&sl=fa&tl=en#


# 中国にはこのイラン事件は、天安門事件を連想するということで報道されていないらしいが、今の中国でそれが通用するのであろうか?


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全身びしょぬれ

2009 年 6 月 16 日 コメントはありません

日中は暑かったものの、夕方から雷が鳴り、夕立がありました。

夕方5時ころから涼しい風が吹き始め、空はもくもくと厚い雲が立ちこみました。

急いでWebにある天気予報と雲のレーダー写真を見ます。

西から雲の一団がやってきているようだ。

6時になって、「今のうちに帰ろう」と決意し、自転車を漕ぎ出しました。

ざぁぁぁと降り始めます。お店のアーケードの下に急いで移ります。少し濡れました。

雨がやみそうなので待ちました。15分くらい経つと止みました。

やったこれで帰れる。また自転車を漕ぎ始めると、ざぁぁぁ。

もうあたりはアーケードもなく雨宿りをするところもありません。携帯電話などを濡れないようにかばんのなかに押し込み、あきらめました。ずぼんとシャツはびちゃびちゃ。

搾ったらぞうきんのように水が出てきそうです。


フィリピンやタイなどの熱帯雨林地域ではスコールが降ります。バケツの水をひっくり返したような、もっと強い雨が降ります。傘はあるけれど、傘を差したら傘が壊れてしまうほど。

もう雨が降っても諦めます。ざぁぁぁぁぁっと降ったら、びしょぬれ。

しかし30分もすると雨は止み、太陽が出てきて暑くなります。するとまた服が乾くのです。


こういうときには自然に逆らわず、雨をまともに受け流し待つのがいいでしょう。


IT関連は新規投資なので周りを見ても、厳しい状況が続いています。中日新聞には自宅待機を命じられている人の記事をみました。

こういったときは、葉っぱを広げて上へ伸びるのではなく、根を伸ばしてしっかりと支えるということが必要だといえます。コンサルティングするならばいつも「新しいことしましょう」と言ってはっぱをかけるのですが、今の状況からするとさらっと雨を受け流して、根を生やしましょうというしかないなと思います。

景気は波なので、向かい波に逆らっても前に行けず、後ろから来る波にうまく波乗りをすることがいいのかな。。。

自然に逆らって生きてきたのに、いろいろなものを背負い込むとそうはいかない。



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