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2011 年 10 月 31 日 のアーカイブ

週末の娘と息子の語らい

2011 年 10 月 31 日 コメントはありません

写真 Facebookに載せています。
http://www.facebook.com/photo.php?fbid=2426495916256&set=a.1988630849903.111479.1667292145&type=1&theater

週末に、名古屋に帰って息子と話す時間が持てました。
土曜日の昼過ぎに、息子が家でテレビを見ていた。娘もたまたまいたので、一緒に自転車に乗って散歩に出かけます。
途中コンビニに寄って飲み物と洋菓子とチーズを買い、山崎川の川べりに座って、娘と息子と話をしました。

お金をかけてどこかに出かけるわけでもなく、喫茶店やレストランに入るような形式ばるのではなく、ぶらぶらと言って家族と話をするのが何ものにも替え難い幸せな時間だと思います。娘の剣道の部活のことや息子の勉強のことなどに耳を傾けました。

息子は中学校に入ったものの、勉強に身が入らず心配していました。
これまでいろいろ話してきたところ、「やらなくちゃいけないことはわかっているけれど、ヤル気にならない」そうです。
私は学者になるという目標があったのでどんどんやりましたし、数学とか理科は好きで勝手に本を読んで先にすすめていたぐらいでした。妻や娘も「やらなくっちゃ」と思っていたので、「ヤル気にならない」といって何もやらない息子の気持ちはよくわかりません。

あまりにも息子は勉強をしないので、先日は妻が息子のノートパソコンを壊してしまいました。いろいろな伏線があって、パソコンを叩き壊すということを妻がしたみたいですが、ちょっとやりすぎたかなと思います。息子の逃げ場がなくなったのは辛いかなと思っていました。

親だとつい「ああしろ、こうしろ」と上から目線の命令口調になってしまいます。
多少の人生経験があるので自分の反省も含めて、「勉強しないといい学校へ行っていい将来はないぞ!」というような脅すような口調になってしまいます。子どもはわかっているけれど、「じゃあ勉強するにはどうしたらいいの?面倒でヤル気が起きない。」ということになってしまい、行動が伴うことはないようです。

これからの世の中もただ勉強すればいいという時代でもないですし、息子には息子のやり方があり最終的にどんな人生を送るのかは息子が決めることです。親としては、大人になるまでの可能な限りの経済的援助と応援ぐらいしか、結局はできません。「ああしろこうしろ」と言ってもそれが本当に正しいかどうかもわからず、息子もそれをどう捉えるかもわかりません。

まず真摯に耳を傾ける。本人がヘルプを求めているのならば、それに応える。それが基本的なことで全てなのかもしれないと思いました。
あとは、息子を裏切らない(好き勝手なことをしたり離婚したりしない)ように、私は私の人生を歩んでできることならば手本を示すこと(そんな大それたことはできませんが)がせいぜいなのかもしれません。

時間がかかるけれど、息子が目覚めるまで待つしかない。そんな気がしました。
仕事の場面でも同じようなことを思いますが、他人を変えることはできません。他人はその人が自分で変わろうとしない限り変わりません。仮に変わるとしたら一時の洗脳です。洗脳が覚めると本人は自分の人生が送れなかったことに後悔するのではないでしょうか。

子どもが小さい時は「かわいい子どもと遊ぶ」という感じでしたが、でも中学校や高校になると仲間みたいなものです。
若い同僚と話すような雰囲気です。まだ幼いところはあるけれど、人格を持った仲間。しかも血のつながりがある身近な仲間です。
そんな仲間が1人、2人と増えたことが、ただ嬉しく思います。

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